原典入手ができるか

 「セガン」を研究してきて大きな悩みがつきまとっていた。それは、セガンの著作原典が入手できないということだ。ぼくが入手したのは、ほとんどがフランス国立図書館のアーカイヴズ頒布サーヴィス利用によってである。例外的に、1843年著書、1846年著書(いずれもフランス時代)の再版本があり、新刊図書として購入した。1866年著書(アメリカ時代)に関しては写真復刻版を水道橋の古書店で見いだした。つまり、ぼくは、文字情報としてはセガンを吟味することができているが、時代社会を刻み込んだ書籍文化情報そのものとしてセガンを吟味することができなかった。戸籍、公文書等については原典に拠ったことは誇りとしている。
 「どれだけ値段がかかってもいい、購入したい。」とかつて言われた清水寛先生の言葉が脳内を幾度も巡る。ぼく自身、パリの古書店、オーセールの古書店、クラムシーの古書店を巡るたびに、「セガン」の名を店主に告げてきた。「名前は知っているが入手は絶望的だ。でも、入手が可能なようならば連絡する。」との言葉を何度聞いてきたことか。だが、情報はこれっぽっちもぼくの耳には届かない。
 しかし、10月に行われたクラムシーでのセガン生誕200周年記念の懇親の場で「セガンの著書原本がアメリカの古書店で30万円で売りに出されているようだ。」と会話されるのを耳にした。ほんの少し、セガンの著書が古書市場に流れている、ことの実感を得たが、それだけのこと。
 数日前、丸善の綿谷さんが『欧米古書稀覯書在庫目録2012秋』を携えて研究室にやってきた。綿谷さんがめぼしい古書としてぼくに紹介してくれたのはパリの歴史、パリの街並みの歴史に関するもの。1850年代のパリ大改造前後についてさらに詳しい情報が欲しいと思っているところだから、いずれも興味津々。幾冊か購入の意思をちらっと示した。で、目録ページをめくっていると、「当時のフランス社会を文章と挿画によって余すところなく描いた云々」との文言が眼に入ってきた。!!! 1840年〜42年に刊行された全9巻のこの書は、ひょっとして、セガンが寄稿しているそれではないのか?丹念に読む。間違いない。即刻綿谷さんに購入意思を伝えた。もうセガン研究は終えたとはいえ、やはり、今度は手触りとしてのセガンを確かめたいのだ。
 残念ながらすでに売れてしまっていると、連絡をいただいた。同時に、海外市場で在庫があることが確認できるので、購入意思があるのなら手配をする、との連絡をいただいた。昨日いただいたメールでは、手配ができた、1月中旬にはこちらに届けていただける、とのことだった。
 わくわくどきどき。