銀座でかにシャブ

 貴婦人にお昼をご一緒にどうですか?とお誘いしたのが昨日のこと。
 お昼前待ち合わせた。
「何かご希望は?」(貴婦人)「どこでも何でも」(ぼく)「じゃ、少々お高くっても?ニコリ」(貴婦人)「ええ、かまいませんとも」(ぼく)
 この時点でもぼくは貴婦人がどこに行き何を召し上がる計画をお持ちなのか、見当がつかなかった。ぼくの頭の中で巡るのは、回転寿司、ひつまぶし・・・といった「秋葉原ヨドバシカメラ・ビル」程度のことでしかなかった。貴婦人「じゃ、銀座ね。」ぼく「いいですね−。」
 銀座に出て食べるもの…ぼくの頭の中にはかつて−何十年も前−入ったことがある不二家とか、名前が出てこない中華料理店程度のこと。
「セリナってお店、しゃぶしゃぶなの。昔ね、銀座じゃないけれどそこで食べたことがあるんだけれど、銀座店はかにシャブがあるってことだから、そこへ行ってみましょう。」
 貴婦人に先導されて、銀座のセリナに向かった。ティファニービルの地下にそれがある。瀬里奈と書くのだと知った。
 しゃぶしゃぶについての思い出は、大学院生時代、指導教授にたかって、大学正門前の「土門」という高級ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶの店で食べさせていただいた程度のこと。「生の方が旨いのになぁ、ぺらぺらの肉を湯にくぐらせて…もったいない」というのがその時の印象であり、今日にいたるもその印象を持ち続けている。だから、牛は最初から選択肢に入っていなかった。「かにシャブって初めてです。」(ぼく) その一言で注文が決定。

 こんな鍋に湯をたぎらせて、

 こんなかに肉を、しゃぶしゃぶとして、ごまダレあるいはポン酢ダレでいただきます。
「かに肉を湯にくぐらせると、蛸の卵みたいなのがぽこっぽこっとできるのよ。」との貴婦人の言葉を実現しようと、しゃぶしゃぶとやる。一本目。接客者が1、2分程度くぐらせることとの言葉に従ったが、中は冷たさを感じる。これではダメだと二本目、もう少し時間を多く取ってくぐらせる。こんな風に。

 中の冷たさはなくなったが、蛸の卵みたいなぽこっは現れない。貴婦人はと見ると、湯の中にかに肉を横たえているではないか。かにシャブを止めてかにちょっと煮に挑戦しておられるようだ。引き上げると、ほらっ。ぽこっがあった。ああ、そうするのね。「でもね、ボアボアってなるのよ。」と貴婦人。蛸卵に続いてボアボアっ…。なかなかかにシャブも奥が深いのだなぁ。貴婦人の手元をよく観察すると、かに肉の表面を引き破っているようにも見える。ははぁん。わけは分からないままに、何らかの加工を施さなければ、蛸卵もボアボアっも、かにの脚肉には現れてこないのだな、ということだけは分かった。
 あとの二本のうち一本、先に、少し表面を削り取ってしゃぶしゃぶドボン。お、蛸卵ができたわい。なかなかいい歯触りですな。おいしい。
 最後の一本。かに脚を縦に半分に割り、しゃぶしゃぶドボン、しゃぶしゃぶドボン。やったー。蛸卵ボアボアっの出現!そして限りなく「おいしいねぇ」という感慨言語を表出した。
 鶴、初めてかにシャブをいただくの記、おしまい。
 銀ブラをほとんど楽しむことなく、帰路につきました。