「コラ様と筏師の活躍を心待ちにしておるぞ」(姫さま)

 今日一日、ロマン・ロラン『コラ・ブリニヨン』の読書に明け暮れた。みすず書房宮本正清訳版。筏師の町クラムシーを16世紀の視点で捉えなおすこと、そして筏師の「主体」を探ること。後者については目安として確信があったわけではない。ここのところの調査は「筏づくり」に重きを置いてきたが、研究テーマ「筏師」に少しでも迫りたいというところからの読書となった。
 『コラ・ブリニヨン』は拙著『知的障害教育の開拓者セガン〜孤立から社会化への探究』(2010年、新日本出版社)に結びついた「セガン研究」の過程で読んではいる。しかし、「筏師」という視点を強く持っていたわけではないので、今回の読書はまるで初読み状態となった。
 前回読んだときに感じていたより「筏師」にかかわる記述が多いことに、戸惑いと喜びとを覚えた。まだ全部を読み切ったわけではなく、およそ100ページまでで、筏師の「主体」を引き出せる記述(関連も含めて)は1.筏師が住む居住区は「ユダヤ」街だとされていること。この点については、クラムシー学芸協会での聞き取りで、旧クラムシーとクラムシー郭外のベトレーム地区(拙著で「バヤン」としたところ。ロマン・ロラン訳本では「ベイヤン」とされている。<特註:原文ではBéyantとなっているので、「バヤン」は誤りである!!>とでは「宗教上の微妙な問題を抱えている。」との示唆をいただいていた。2.にもかかわらず、筏師街の人びとはクラムシーの「祭り」に主体的に参加していることが描かれている(謝肉祭等)。そして、3.は次の原文(翻訳)からの引用で説明に代えておきたい。同書94ページより。
「・・・カニヤは、ヨンヌ川の向岸をぶらぶらしたりベイヤンの橋の上に立ちん坊をしている、筏師たちと大声に怒鳴って話している。二つの町に住む鳥は違ってもその習慣は同じことで、昼間は橋の縁に御輿をすえて近所の居酒屋で嘴をぬらすのだ。ブーヴロン河の息子とペツレエムの息子との会話は、例によって例の如く悪洒落だ。ユダヤの御連中はわしらを田舎者扱いをしてブールゴーニュの蝸牛だとか、糞虫だとか言う。そこでわしらは彼らの御愛敬に答え彼らを「蛙」とかかますの口とか呼ぶのだ…。」
「わしは先ず筏乗りたちに、カニヤとロビネに手を貸してわしの車を筏に乗せそれからわしが選んだ木材といっしょにブーヴロン河を流してくれと頼んだ。彼等はさんざん怒鳴った。
『ブルニヨンの野郎! 厚かましい奴だ!』
 彼等は散々怒鳴ったが、手伝ってくれた。結局心ではわしを好いているんだ。」
 筏をブヴロン川を流す、というところが、ぼくの脳内に住み着いているクラムシーの「筏流し」の地理関係を混乱させている。コラ親方の仕事場はヨンヌ川縁のようだし、住居はブウロン橋の袂のようだ。一体、車と木材をどこからどこへ流せというのだろう。どうも分からない。「筏乗り」の操る「筏」は「薪材で造る筏train」であるはずだし、自由自在に運べるものでもないし、操ることができる代物でもない。
 今後の検討課題となる。