「筏師は何を食べたのだろう」

 クラムシーを発しパリに向かった薪材いかだ。到着まで8日ほど掛かったという。いかだの上には休憩をするための簡易な小屋があつらえられていた。そこまでは残されている絵などを見ればわかる。ときどきはport(港)に立ち寄っていたことも推測されるのだが、全行程でどうしても必要なのは食事と排泄である。排泄については「いかだ師哀歌」から推測されたが、食事については何もわからない。姫さまと、バゲットをかじっていたのだろうか、とか、動物の脂肉の塩漬けなどを食べていたのだろうか、とか、付け合わせはピクルスなのだろうか、など、あれこれと推測していたが、まったく根拠のない推測である。今日調べたところで、いかだ師のファッションに関わることが少しわかったが、その中に、上に羽織る皮ジャンパーに「獲物袋」が付けられていた、とある。「獲物袋」には「タバコ、パイプ、紐・・そして密漁用の様々な道具」が仕舞い込まれていた、とあった。そして、錫製の蓋付き片手鍋が婦人や子どもから届けられた、という記述を見いだした。つまり、いかだ師は、川で釣りをし、その獲物を調理した、ということだ。
 たくましいですね―。