研究の道標になるか

 2009年6月初旬だったと思うが、クラムシー市役所前広場に面したところに古道具屋があった。「セガン」を象徴するような古道具があるだろうか、「いかだ師」に関するものがあるだろうかと思い、店内を覗いた。パリの古道具屋や古書店とは違い、さすがに地元、「セガン」も「いかだ師」もぼくのへごな発音で通じた。「セガン」は皆無。「いかだ師」に関しては、古書を取り出してくれた。19世紀半ばに出されたパリの薪材商総元締めモローが著した『繋ぎあわせたいかだの歴史―ジャン・ルーヴ及び新旧の主要人物』というタイトル。この時に知ることはなかったが、やがて、モローは「薪材いかだ」に関わる公文書の総集を試みているなど、「いかだ師文化研究」にとっては切っても切ることができない人物だということを知るようになる。かといって、今ぼくが、モローさんその人を研究対象に据える、ということはありえませんけれどね。
 古道具屋に別れを告げ、宿のベッドの上に同書を広げたところ、タイプライター文書が本の間からこぼれ落ちた。見ると、「クラムシーのサン・ニコラス信徒会」の決定文書で肉筆サイン入りである。「いかだ発明400年」と大タイトルが付けられ、1949年4月17日の日付が入っている。現在のベトレーム橋(当時はジャン・ルーヴ橋)欄干に1828年に備え付けられたジャン・ルーヴの胸像を撤去し、1945年にポヨウによって製作された「いかだ師」像を設置する、旨の議決文書であった。大変貴重な史料入手であったわけだが、今日に至るも研究的に使い道がなく、従ってちゃんと細部の解読もできてこなかった。今は興味津々。さあ、どんな顛末が綴られていることか。添付した図版は「クラムシーのサン・ニコラス信徒会」のシンボルマーク。サン・ニコラスは「水」に関わる職業の守護聖人。クラムシーらしさで言えば、錨の根っこのところに「いかだ」が横組みされて描かれていることだ。これはまったく新しい発見。