会議の隙間を縫って

*教育学科開設準備室の事務をお願いしていた貴婦人さんが今日で契約切れ。4月からもお越しいただくようだが、今度は教育学科開設準備室はなくなるので、どんな仕事をお願いするのやら。とりあえず、この2年間、ご苦労様でした。
*教職課程委員会、学部教授会、大学院教授会、教室会議。会議の連続。
*会議の合間を縫って、「いかだ師」関係調査。今日は、「いかだ師」フファミリー名簿と居住地(番地)の調査。かなり成果があったと思っている。どう使うか、だな。
*なんでこんな細かなことをやっているのかというと、2011年のパリAP/HP古文書館調査で、クラムシーに里親委託費が支払われる命令文書の存在に気づいた。つまり、「ククラムシーは里親の街」 だったことが示されていた。では、その里子はどのように育てられたのか、ということ。史書によれば、乳児の間は孤児院で育てられ、幼児になると養護施設に預けられ多少の社会的訓練を受け、続いて里親に預けられて社会参加の基礎が訓練される、多くは職人の元で職能訓練を受け一人前になっていく、ということだ。だとすれば、クラムシーの「里親」が「いかだ師」であったとしたら、パリの棄て児はクラムシーで「いかだ師」となっていくわけだろう。それを明らかにする「痕跡」探しのために、ファミリー調査というわけだ。今日のところ、たった一人の少年が、パリ生まれ、両親名不明、と記述されているのを見いだした。これも重大な気づきに繋がるような気がする。