「筏師」と「浮き」とは別物なのだが・・・

 昨日「発見」したDupinの著書にはflotteurという言葉が頻出する。そして、堤防や橋を意味する単語も頻出する。地勢学に関わる専門書。大喜びをして読み進めたが、どうも変。浮き沈みすることの物理学的な解析なども出てくる。こりゃあ、オレには手に負えねえなあ、と読み進めるのを諦めた・・・。諦めて正解、水面を漂い浮き沈みするflotツールすなわちflotteurなのだった。
 Dupinは「3Dupin」などと語り継がれている立志伝中の人物、というよりファミリー。その父親Pierre Charles François Dupin の葬儀の記録を読んでいたところ、Les flotteurs, qui avaient demandé de suspendre leurs travaux, marchaient en tête avec le bâton de leur confrérie.とあるではないか。1843年2月のことである。筏師たちがその作業の手を休め、彼らの職能象徴である鈎棒を手にして葬儀の先頭を歩いた。Dupin父の葬儀はそれはそれは大きなものであったらしい。国政を担う者、県政を担う者、コミューンの政治を担う者、その他その他・・・葬列はどれほど続いたのだろうか。その先頭を筏師集団が行く。この意味にもう少しこだわってみたい。
 この父親の三人の息子つまり「3Dupin」、とりわけ長兄André Dupinは(昨日見いだした著書のDupinは2番目の息子)なかなか興味深い人物であることがわかった。「初等教育協会」の組織員であり、義務・世俗教育の推進者であり、1848年革命に尽力した人物であり、第2共和制下の代議士であった。彼がニエヴル県の有権者にあてて出したアピールが存在していることも判明。その中に「筏師」にあてている内容もある。丁寧に調べたい。