「話し合い」は何をもたらすのか?

 とにかく「ディスカッション」を好む。到達課題が明確な場合だとストラテジーを打ち立てる方法としてディスカッションはある。だが、「話し合って、いつもと違う友達の側面を見ることができて、良かったと思いました。」なんて感想が出されるディスカッションって、なんだ?ここは大学か?教員養成という専門課程の授業か?和気藹々親睦会、懇親会を授業中にやろうってのか?その一方で「自己を見つめる」作業を極端なまでに嫌う。
 ぼくの授業のまとめ(課題)提示は以上のようなこと。授業終了後ひとりの女子学生が大粒の涙を流し、しゃくり上げながら、教卓にやってきた。教師になる希望を強く持っているのだけれど、今日の講義で自分は教師になる資格はないと思った、という。泣きじゃくる彼女を研究室に案内し、「依存と援助の共同体づくり」の講演論文コピーと、笠原紀久恵実践とを手渡した。「これを読んでご覧なさい。」と。そして自主ゼミの組織を提案。サークルが忙しいようで水曜日の自主ゼミ参加は困難だという。「じゃあ、木曜日は空いてますか?」
自主ゼミメンバーを探し出さなければ。
○トドちゃん、今日で、パートを辞された。本当にご苦労さまでした。おかげさまで教育学科が無事発足しました。お疲れだったと思います。ゆっくりと心身を休めて下さいね。