セガン教具、聞き取り

 明け方は寒さを感じた今朝。午前中原稿手直し。やはり「セガン教具」名称由来が気になって仕方がない。清水先生にお教えを請う。ただし電話で。以下FBにその件に付き投書した内容。
「思い切って電話を掛けて聞き取り。「セガン教具という命名はいつ頃どなたがなさったのでしょうか。フランス語にも英語にもぴったりする単語を見受けることができません。ですから、日本の研究史上で誕生したのではないかと、推測しております。」
セガン教具」というのは障害児教育やモンテッソーリ教育に関わっている方ならばご存じのもの。セガン自身が自らの治療・教育活動の中で使った数々の用具・道具を「セガン教具」と呼ぶはずもないし、またそのような記述もない。セガンがフランスを去ったのが1850年のこと。それ以降半世紀の間、セガンはフランス社会でほとんど無視されていた。だから、セガンのやり方を密かに?継承・発展させる営みはあったけれども、そこには「セガン教具」という固有名詞は添えられていない。・・・・ということで、いろいろと関係する史資料を漁ったけれども、名前の初出を特定することは出来ない。思い切って研究の先達にお尋ねすることになった次第。
「ぼくら、イヤ、ぼくが初めて、そう言ったのでしょうね。」
「と申されますと、1960年代ですか?」
「そうですね。でも、川口さんらのその後のご研究を拝見していると、セガン教具というのは総称ですね、セガンの創意工夫で産み出されたものをその後の研究や実践の中で改良が加えられていった教具総体です。今後は総称としてのセガン教具という意味を込めた言葉としてセガン教具と理解する必要があるでしょうね。」
「そうなりますと、私の興味関心の対象外のことになります。」
「そういわすに、セガン研究をさらに深めて下さいよ。」
「いえいえ、意欲的な研究者が輩出してきていますから。よそ者の私は引っ込まなくっちゃ。」
 じつに久しぶりに先達の肉声を耳にし、会話が進むほどに声のトーンが強く明るくはっきりしていくのを感じ、お元気な様子を知って嬉しくなった。聞き取りも収穫があったが、何よりの収穫は、お元気な声に接したことであった。」
 電話会話では、清水先生が学習院に来られ、教育学科図書室に籠もって大正期校友会雑誌調査を為されたと伺った。中央教育研究棟最上階の松本楼で昼食を摂られたとか。盛んに感嘆しておられたが、はてさて…。せっかくお越し下さったのだから研究室にお顔を出していただきたかったな。10月初旬もしくは11月中旬に生活綴方関係の調査でいらっしゃるとのこと。