最後の授業1

 ドーデではないが「最後の授業」。生徒指導の研究A。卒業生の根岸君が参加してくれた。彼が教育現場から去っていった事情などを話してもらう。子どもの問題で統一できない現場が教師の精神を苦しめる。
 「いじめ」に焦点化させて語る。「いじめを受ければ逃げればいい」「やり返せばいい」論が根強い。しかしそれは、物事を、とくに人間関係をデジタル的に捉えてフラッシュさせて焦点化して考えようとするから。人間はそもそもアナログ的存在であり、物事の認識、ものの捉え方、精神の移ろいもアナログ。いつしかこうなってしまっている、という気づきの時には、もう手も足も出ない状況。「いじめ」は当事者間の問題だと考えてしまうところから起こる問題。
 授業終了後届けられたメールをFBにアップした。以下のごとし。
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こんな惜別の言葉を貰いました。
「私が学習院に入学した2010年、右も左もわからない私は教職課程の履修条件である教育基礎の第一回目の講義を欠席してしまいました。しかし、教職課程履修を強く志していた私は、意を決してシラバスに記載してありました授業の担当者である川口先生の研究室を訪れることにしました。
 しかし、周りの友人たちに聞くと「川口は鬼だ」という声を複数聞いていたので、それはそれは一世一代の覚悟を固め、先生の研究室を訪れたのでした。 「ノックは無用」とのことでしたので、そのままドアを開けると、そこには初めて見る川口先生の姿がありました。
 そしてわたしはかくかくしかじか、理由をお話しし、教育基礎履修の許可を頂きたい旨を申し出ました。 その後、川口先生にはとても怒られました・笑 それはそうです、やるべきことをやらなかったので自分が悪い。それはもちろん重々承知です。
 しかし、その後に川口先生は私に、休んだ理由を丁寧に聞いてくれました。
 そして、終始震え上がっていた私に「よく勇気を出してここへ来たね。怖かったでしょ?」といたずらっぽい笑顔をとともに語りかけてくれたことを鮮明に覚えています。
 続けて先生は「私のことは、どういう人間かはこれから学内で過ごしていれば嫌でも噂を聞くだろう。もしかしたらもう聞いているかもしれないけど。でも、何が正しくて、何が間違っているかは最後には必ず自分の目で確かめる癖をつけなさい。」と言葉をかけてくださったのです。
 この言葉は教職課程履修のみならず、大学生活の大きな指針となりました。
 他人から流された情報を鵜呑みにせず、つねに自分で目で確かめ、判断する。
 川口先生からは一人間としてとても大事なことを教わりました。
 この教えを頂けただけでも、学習院へ入学した価値がありました。
 本当に感謝しています。有難うございました」。
「ノックは無用」というのは、私は聴覚に難があり、ドアをノックする音を聞き取ることが困難。かつて、いくらノックしても返事がない、しかし部屋の明かりは付いている、人の気配もする、それでノックが聞こえないのではないかと、ノックを続けた、かなりの時間が経って、入室を諦めてしまった、という出来事があったことを伝え聞いたので、それ以来、「ノック不要」としている次第。それはそれとして、こういう形で学生たちがぼくとの関わりを印象づけているのだな、と改めて感じ入った次第。
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 多くの方からありがたいコメントをいただいたが、下娘からもコメントが寄せられていた。「娘にも、しっかり自分の目で確かめることを教えていただきました。社会人になり、人に指示する立場も経験するようになると、そういう習慣、ない人がいるんだね、と実感します。感謝。」 ちょっと声が詰まった。嬉しいね、正直。そしてありがとう暁さん。