生活綴り方から生活綴り方へ

 (FBに投書)
 ぼくの大学での教育の実践的原点は自分史の中にあるのではない。かつて埼玉大学の仲間(教育学演習の学生)たちと学び合った「生活綴方」にある。日常は文献学習を進め、夏休み等の長期休暇の時は合宿で学び合い、合宿先の地方の綴方教師のお話を聞き、可能ならば教室を訪問して事実を五感で学ぶ。埼玉の青年教師の実践から学級が一体となって一人の仲間を応援する子どもたちの姿に私も学生たちも胸を熱くした。そして、生活綴方このよきものに確信を持った。学びの場は、やがて、岐阜県恵那市山形県山形市高知県高知市、北海道苫小牧市青森県青森市高知県土佐清水市等々に広がっていった。「生活の多様性」と同時に「子どもの発達を疎外するものの根深さと本質」とを学びあっていった。それらを確信したのが、子どもたちの綴り方であり、教室という現場であり、ゼミの仲間たちと行ったフィールドワークや語りあいなどである。「共に学び共に生きる」というのがぼくたちが掲げた課題であり方法であった。これらの学びの中で、丹羽徳子先生、笠原喜久恵先生、津田八洲男先生から直接教えをいただく学生たちも誕生した。ぼくもその一人だ。何とか、ぼく自身が大学教育という枠組みの中で、生活綴方実践ができないものか。・・・・・
 数年前の授業が転機であるのかもしれない。子どもの作品、そして授業記録を読みあう授業の中で、学生から提出される「オピニオン」をすべて印刷し、それらの作品の中から何編かを書き手に声出しで読んでもらった。学生たちの間から拍手が自然に起こり共感の声が寄せられる作品が多く生まれた。全盲の学生が「オレは楽天的に生きているけれどただ一つ悲しいことがあった。それは、オレのことを分かってくれていると思っていたオヤジがオレの写真を見て、目が見えればいい男なんだけどなあ、と言った時だ。オヤジは今のオレのありのままを認めてくれていないんだと思った時ほど悲しい思いをしたことがない。」、原発事故の被害で家族が地域がバラバラになってしまったことを綴った三原君は、「ぼくは故郷を創ることがこれからの人生だ」と語ってくれた時も、共感と応援の大きな拍手が起こった。などなど。ふと、これらの学生の姿が、生活綴方教室の子どもたちの姿と、二重写しに見えた。ああ、これだ、オレが求めていたのは。
 そして今年度、「オピニオンを聴くことは自分も相手も成長することが分かった」と綴ってくれたマイちゃん、「皆の声を聞くこと、自分の声を皆に届けること、この二つの大切さ尊さを学びました」というマホちゃん。マホちゃんは「最後には何と、300人もの前で声に出して自分のオピニオンを読み上げることができました。」という自身が拓かれた姿を綴っている。などなど。
 生活綴方の学びから研究者の道に入り、真実に向かいあうリアリズムの方法と課題とを試行錯誤して探り歩いてきた研究の道を、最後には生活綴方このよきモノを自身で実践的に実証することができた。大きな喜びである。

Mai Kimura 真穂ちゃんの言うように、オピニオンは聞くだけでなく、届けることも大事ですね。届けることがあってこそ、聞くことができます。

川口 幸宏 マイちゃん、ぼくがアメリカやフランスでこうした教育のことを紹介するときには、「読み合い書き合い」と言ってきました。

山岡 寛樹 自分の生活を見直す。別の視点から見てみる体験をすることは重要です。自分が何者であるのかが客観的に見得てくるようになります。少しかもしれませんが、高校時代に毎日書き綴って経験は後で生きました。

土屋 真穂 生徒指導の研究で、ようやく生活綴方の学びを実践出来たように思います。自分を出したことで、逆に少しシャイになったように感じます(私にはちょうど良いかもしれません)。自分をひらくにはとてもとても力が必要です。誰かの支えあってこそ、できるものだったんですね。

川口 幸宏 「支えあって生きる」 これ、ぼくの和歌山大学勤務時代のゼミスローガンでした。