「弟の家庭内暴力がひどくて、私は家を出て暮らしています。母は家に残っていますが、母にも危害が及び始めていますので、母も家を出るべきだと、私は母に言っています。」
相談があると私の所に来た女子学生。もう結論を出しているのだから来た理由はただ一つ、我が家族の弟に対する対応が正義であると認めてほしい、ということ。逆に言えば、心に大きく引っかかるものを抱え、そのトゲを抜いてほしい、ということ。
「暴力をふるう弟さんから逃げて、生命の安全を守りたい、というわけですね?それにしても、なぜぼくの所にいらしたの?」「・・・・先生なら、私の話を聞いてくださる、と思ったからです。」「何の処方箋も差し上げられませんよ。」「・・・・・」
 このお嬢さんが研究室を訪ねてきたのが一年前。ぼくはその時、「お母さまも、お父さまも、あなたも、苦しいでしょうね。でも、もっと苦しんでいるのは弟さんじゃないかな。お母さまに暴力をふるい、それがあなたにまで及ぶようになっているわけだから、しかるべききちんとした対応が必要です、命に関わりますからね。でも、自分でもわけが分からない、自分が自分でコントロールできない思春期・青年期の男性のことを考えてみますとね、今姉貴を殴っている、殴ろうとしているこの拳を誰か止めてくれないか!と内心では叫んでいると思いますよ。その叫びに耳を傾けることは、もう、不可能ですか?」「今日、私は何をしたらいいでしょう。」「話を変えますね。あなたにはボーイフレンドがいますか?」「?」「弟さんにね、お姉さんの男友達の誕生日が近いんだけど、何をプレゼントしたらいいか、よくわからないので、あなたがお店まで一緒に行って選ぶの手伝ってくれない?と声かけをしてご覧なさいな。いろいろブーたれるけれど必ず一緒に行ってくれるから。」 その夜、メールで、弟が一緒に行ってくれました!という報告があった。
 その後、この女子学生は断続的にメールで報告を寄越してきた。一進一退の中で、確実に、家庭内の情愛的な結び合いが深まっていることを感じさせてくれた。
 そして昨日・・・教室にその学生がいた。ああ、卒業なんだな。授業終了後教卓のところに来て涙を流して、今、家族が一緒に住んでいます、弟にも笑顔が見えています、と報告してくれた。「よかったですね。あなたたちが、あてにしあてにされる家族像を作り上げられたことを、とてもうれしく思います。」と言って、お別れの挨拶とした。(FB投稿文)