本当の最後の授業

香に匂へうに掘る岡の梅の花
 これは芭蕉三重県伊賀で詠んだ句。だらしない学生であった頃、何らかの修養をせねばならぬわいと念じ、小さな山寺で1ヶ月ほど生活させていただいた。そのお寺さんの境内に芭蕉の句碑があった。学校では教わらないこの句にたいそう興味を持ち、それ以来、ぼくの信条ともなっている。「うに」というのは泥炭のこと。燃やすとすさまじい悪臭がする、しかし、それをエネルギー源として暮らす人々(少なくとも中層以下)がいる。一方、伊賀は梅の里でもある。梅の咲く季節になるとかぐわしい香りが地域一面に漂う。あたかも悪臭を防ぐ、今日で言えば芳香剤のような役割を果たしていた。
 学生を「うに」に喩えては申し訳ないけれど、うには人々の暮らしにとって有用なもの。その有用性を掘り当てて育てたいという思いを強く抱いて、その山寺を下りた。その時から40年余は経っている。けれども、この時の思いは少しも変わらない。
芭蕉の句をちょっとお借りして

鬼仏今日を限りとうにを掘る 鶴  (FB投書文)

◎姫さまから、本の帯文の候補が送られてきた。次を採用してほしいと返信。
拙著(『一九世紀フランスにおける教育のための戦い―セガン、パリ・コミューン』)の「帯」文案が届けられた。なかなかいいんじゃないの?と思います。関係者諸氏には蹴飛ばされることでしょう。枯れ枝ごときがナマ言うんじゃネエ!と。
「希求された近代教育
精神医学界に抗し知的障害教育を切り拓いたエドゥアール・セガン、自治獲得と世俗教育をめざしたパリ・コミューン。教育の自立、近代的理性・個人確立のための熾烈な闘争。」