「休む」ことの意味

作業療法士の高木さんとはぼくの研究などの会話はしない。リハビリについての深い示唆をいつもいただく。励まし、方向づけに自分がどの辺にいるかを何気ない会話の中で語って下さる。歩行器をあれは気休めと昨日言って下さったのは、ぼくの到達を踏まえて、さあ歩きましょうと背中を押したのだろうし、反対に早く早くと気のせくぼくに、疲れているときは対象神経を休めてやります、と言われる。身体に教え込む鍛練主義ではムダということだ。うちなる神経の働きを呼び起こすわけだ。
昨日の会話―川口さん、作業回数が時に異なるのは何故だか分かりますか?いえ、私は指示に従ってリハビリを受けるだけです、私はその指示をいただきたいという意欲を持ち続ける努力の主体なだけです。それはうれしいですね。療法士の仕事は患者さんのやる気を支えることですから。
教育は引き出すとよくいうが、それが教育者の独善的指導に陥りやすい、支えるというところまで下がる必要かあると、痛感した。