ぼくの心と生き方に力を与えた人々のこと

 6年間の大学院生活の後、埼玉大学和歌山大学学習院大学に勤務して39年。計45年間、教育研究者として出会い、ご厚誼をいただいた多くの教育関係者の中でも、次のお三方ほどにぼくを全人格的に包み込んでくださっている先生はいない―倉沢栄吉御大は別格。
 志摩陽伍先生:大学院修士課程時に戦前生活綴り方研究の課題意識を持って日本作文の会の夏の大会に参加。歴史分科会で先生の助言をいただき、翌年からは同分科会の運営責任者として引き立てていただいた。それ以降今日に至るまで、ぼくが教師・研究者として幾度か沈みかけるたびに、手を差しのばして、生きる目当てを示してくださっている。先生の教育哲学を後継しうる一人として認めてくださっているからだろう。先生に導かれて歩んだ道でぼくの教育学研究者なかんずく生活綴り方研究者として、内容と方法とに強い影響を与えたのが、Whole Language調査研究と翻訳研究とである。埼玉大学の最後のあたりから、和歌山大学全期、学習院大学初期を通じてで、40代から50代のおよそ15年ほど、人生初のアメリカ旅行と滞在、夫婦揃っての研究視察の機会と勇気とを与えてくださったのは他ならぬ志摩陽伍先生である。Whole Language研究では、志摩先生を通じでだけれども、北川千里、メアリー先生ご夫婦を抜きには語ることができないが、このことについては、後日に期したい。北川先生から、昨日、見舞いのメッセージが届いた。細君の口を借りるまでもなく、本当に、心の広いご夫婦だ。
 笠原紀久恵先生:笠原先生との出会いは1980年のこと。日本教職員組合全国教育研究集会の生活指導分科会の研究協力者の一員であった当時だが、たまさかこの年の分科会運営の研究協力者代表を務めることになった。輪番制があたったまでなのだが。基調報告をしなければならず、分科会全体集会のメインレポートを選定しなければならず、また、非行や家庭崩壊、暴力、いじめ、暴走行為など、子どもの教育・発達をめぐる困難性が際立つ世相があり、教育界が体罰を含む厳しい管理主義や競争主義を声高に語り、実践を強める傾向を見せており、ジャーナリズムによる格好の好餌となることがあらかじめ予想され、非常に神経質にならざるを得なかった。ほとんどのレポートが「集団主義」的な、あえて言えば、民主主義という名の管理主義傾向の教育実践が綴られている中で、きわめて人間賛歌の報告が心に染み、分科会講師団にそれを代表レポートとして推挙した。教師の名は笠原紀久恵、北海道苫小牧の先生である。福祉、生活扶助の課題をも内包する実践記録であり、「現代的貧困」に対して、理屈ではなく、学校教育実践に取り組み、小学校児童たちの自立を「友」と「ぼく」という関係性から迫ったものであった。この実践を、ぼくは、『生活教育』誌で紹介したり、著書『子どもが生きる教育の創造』(教育史料出版会、1982年)で分析的に紹介した。言ってみれば、教育研究者として教師とその実践に惚れたのである。埼玉大学のゼミで夏合宿で笠原実践を研究主題にして、苫小牧を合宿場にして教室訪問、笠原講演、交流を深めた。やがてこの学習活動は、この期の学生たちの実践研究会「大地の会」へと発展した。そもそもは「臨時教師」の学び語り合う場として出発したのだが、教員採用対策ではなく、教育の本質を求める若々しい情熱に溢れていた。笠原先生もこの研究会に暖かい目線を向けてくださった。今でも先生からいただくお便りに「大地の会」のことが触れられる。笠原先生は、今回のぼくの闘病のことを知り、「北の国から」と題するメールをくださった。先生は、いつも、本当に心に届くオアシスのような方である。
 〔特報〕「大地の会」掲示板(学校と家庭とをつなぐ子育て・教育のページ)はまだ生きている! http://8326.teacup.com/setakoji/bbs? へどうぞ。
 清水寛先生:2000年以降のぼくの教育学研究を深めるチャンスを与えてくださった。セガン研究、パリ・コミューン研究の生みの親である。清水先生とは研究方法論をめぐって厳しい対立関係も生まれたが、それを許容し新しい研究成果を受容する―それが自身のこれまでの研究者としての足跡を否定するものであったとしても―進取的な研究者としての謙虚な生き方をご呈示いただくという、美しい心を頂戴した。昨年のはじめ、清水先生に次のようにお伝えした。「セガンは、既成の教会的、政治的、医学的、学校的権力・権威に逆らい、それだけではなく、それぞれに独自の世界を綴った、敬虔な宗教者であり、果敢な革命家であり、怜悧な科学者であり、確かな実践家である。」 この観点を貫き、史料的補完を試みたのが、新著『一九世紀フランスにおける教育のための戦い』の第一部に収めたセガン論であるが、清水先生はどのように評されるであろうか。
 しかし、清水先生ほど、ぼくの『感情』を大きく揺さぶったお方はいない。『先生の言われる友情とは、使い捨て知恵袋でしょうか』という失礼極まりない手紙を差し上げたことさえあるのだから。