新著に対する「志摩批評」全文

昨日、その後のご容態はいかがかと奥様に電話しましたところ、その後の回復ぶりはかなり順調で、病院内を杖をついてリハビリをはじめておられるとのこと、ひと安心いたしました。柏の病院にお見舞いをとも思いましたが、少し遠方であり、文面の方がよかろうかと思い一筆します。
 これより先、三月二日のゼミ特集号を主催者よりご送付いただき、またその後に『一九世紀フランスにおける教育のための戦い』を拝受。厚く御礼を申上げます。さし当たり、後者に深く魅せられたので、今日はそれについての寸評を書きます。一度読みでは全体と細部との関係まではよくつかめず、この間に手持ちの関係文献にもあたりながら、先ほどまでの二度目の精読作業を行いました。
 総評の第一は、これは革命的な教育史書であり、貴兄の最高作であろうということです。この一書を書かんとすれば、その集中的努力の前に脳梗塞になるくらいは当たり前であり、この書ならずんば死をも恐れずぐらいの感慨の下に書かれたものと思います。セガン研究とパリ・コミューン研究がなぜ最終的に一つになったかという理由も二度読み通してやっと納得できました。パリの街角を地をはうように歩き、一つ一つの情景やしるしの意味を考え抜き、一次資料の相互関連を既得の知識・経験を総動員しながら考え抜き、構成した苦心のあとがよくわかります。それぞれの部のしめくくりに、セガンの一八五六年論文、パリ・コミューン下の子どもの状況の原資料をそのまま提示されたことの深い意味も好学の士にはそくそくと迫りうるものでしょう。しかし、それは、本格的に読み考え抜いたものだけが味わいうる楽しみかも知れないけれども。
 セガン研究に徹することによって障害児教育と一般教育学との関係における「社会化」の意味を問うた主題は、前著と併せ吟味することによってますます深まり、また今日まで続く教育の自由と自立、自治の課題は、とくにパリの各自治区の第一級資料の判読によって読者のさまざまな想像力をかきたて、幕末、維新前後の日本の政治・宗教、社会の動乱を含む、死者たちとの対話に私を誘い込みました。
 本書は、教育学の側から提起された、歴史研究一般の問題提起でもあると。日本の教育史研究の課題は、本書のような観点から再考されねばならないとも。以上のことを細部に触れて述べると長くなりますので、それは今後に取っておきましょう。
 ともかく、定年後ほど楽しい年月はなく、川口さんもここのところの一段落で存分に静養され、初夏にはお元気でお目にかかれるよう、ご静養なさいますよう。
二〇一四年三月二六日