マルセリーノちゃんはおねむです


 昨日は雨で家に閉じこもり、身体機能のリハビリをせずしまいだった。さて、今朝。
 6時起床・・・いや、身体が起きない。幾度かどたんばたんを繰り返して、介護手すりを掴み、身を起こしはしたが、なかなか立ち上がれない。やっとの思いで立ち上がっても、左膝に力が入りにくく、腰もしゃんとしない。ははーん、代替神経群マルセリーノちゃん、昨日のお休みで、自分が何をするのか、何ができるのか、ちょっと忘れたみたいだなあ。はっきり言って、それ困ります。はい、目覚めてね。リハビリの先生が、機能が働きにくい時に、トントントントンと、該当筋肉を軽くノックしていたのを思い出し、左ももをトントントントン。少しは目覚めたかな?
 よたよたながらも外歩きは大丈夫だと判断。6時55分出発。
 朝の心地よい陽光を浴びてよたよたとリハビリ散歩。今日は「今谷刑場跡」の句碑の再確認が課題。刻まれている句は「首塚や切り倒されし竹煮草」。作者は「昭花」とあることを確かめた。句の意味は?昭花さんて?それらを知る手がかりを求めて、うろうろ。杖を落とし拾おうとして横にひっくり返ったり、碑文名を確かめるべく中腰になり後にひっくり返ったりと、ちょっとしたアクシデントに見舞われたが、「竹煮草」の現物を見つけ、句の意味が見えてきた。

 このあたりは住宅街のど真ん中ではあるが、その隙間に狭いながらも墓地がある。当時は周り一体が山林であったが、当然、民間信仰の証、お地蔵様が建てられ、死者を慰める。後年、刑場跡付近は墓地に利用されるようになった、ということだろう。昭和期後半には、一体の山林は切り開かれ、住宅街化した。
 さて、比較的新しい墓石が大半、しかし太平洋戦争で戦死した人を祀る古い墓石もいくつかあるという状況から判断されることは、長らく手入れされることがなかった史跡と思われた。そこに竹煮草が生い茂り、刑場の史跡を覆い隠してしまってた。墓地の清掃や除草に来た「昭花」さんが一面の「竹煮草」を刈り取っていくと、刑場跡を示す史標が姿を見せた、きっとそれは写真のお地蔵さんだったのだろう。
 くだんの句碑は「平成2年8月」に建てられた。それ以外の情報を知る手がかりはない。
 その後、今谷上町の鎮守様にお参り。藤が色づき始めている。
 8時帰宅、3500歩。