こころ


 今朝のリハビリ散歩 6時30分〜7時25分 3600歩
 すたすたと歩き始めた時は、これは調子がいい、と感じた。しかし100メートルも行かないうちに速度が落ちる。どうした?と自身に問うが当然答えが返ってくるわけはない。自己分析をし、対策を練らなくては、とあれこれ考えをめぐらせ始めるが、どれもこれも「入り口」から「奥」にまで「道」が通じず、思考をストップしてしまう。そして、目とくに左目が焦点が合わない感じが強まり、頭が重くなってしまうのだ。これは入院中からしばしば起こる身体状況で、読書の行為に強い影響を与えてきた。今もそうで、集中力がまるでない。こうして文を入力できるのだから矛盾する二つの自分の実在を知ってしまう。脳梗塞による後遺症なのだろう。目のリハビリについては何の手当もされていないので、抱え込んでいくしかないのだろうか。
 さて、100年前の今日、漱石が(現)朝日新聞に「こころ」を連載しはじめた。日本人の精神の中に「近代」を棲息させた最初の作品であろう。混沌とした自我とそれを整理せずにはおられない自我との葛藤。ぼく自身も教育論の中で、単一的価値に整理したがる日本の学校的人間像に強く抵抗し、「もう一人の自分」を描くこと、葛藤すること、それこそが人格形成だと、強く主張してきた。それはそれで間違っていないと強く思う。では、今、このブログにリハビリ日記を中心に「自分」を綴っているのは、何のためだ?左手麻痺のため、タイピングに大きな支障があり、入力ミスがたびたびあり、とても実用には向かないほどの障害を押し切ってまで、なぜ、綴るのだ?本を読むという思考行為は5分と続かないのに、自分を綴るーすべての自分ではない―行為を、毎日2時間余をかけて行うのはなぜなのだ?このことを整理するのが、今日のぼくの大きな課題だ。そろそろ「疲れてきた」自分からの解放を夢見てもいる。
 自主ゼミの悠平君が、ぼくへのメールの書き出しに「オー、キャプテン!マイ、キャプテン!」と呼びかけてきた。映画「今を生きる(死せる詩人の会)」の中の言葉だ。キーティング先生のようにありたいと願っていたぼくだから、悠平くんのその呼びかけが嬉しくないはずはない。多様な関わりのあり方で自主ゼミの一員であってほしいというぼくへの要請もなされ、正直、一瞬涙が目に溜まった。だが、一方で、海洋事故で沈没船から真っ先に逃げ出した、かの「船長」のように、キャプテンであることを放り出したい自分がいる。かの船長は「生きる」ためだが、此方は「生きるのが面倒」なため。どれほどがんばっても、元には戻らないんだよ。元に戻ったところで「半人前以下の研究者」(某人のぼくに対する評価)が生き延びられる世界があるものか。
 20年以上前の自主ゼミの仲間にまゆみちゃんという子がいた。「日曜大学」(現代若者宿のようなもの)のメンバーでもあり、学生フレネ教育研究の仲間でもあり、しかし、リアリストというより「夢を夢見る少女」という感じの、目がきらきら輝いているステキなお嬢さんだった。2000年度のサバティカルの時空の隔たりはいかんともしがたく、連絡が取れなくなってしまった。大学は卒業したと伝え聞いたので、それはそれでよかったと思った。2001年のある日、まゆみちゃんと偶然出会うことができた。「どうしてる?元気?」「若年性糖尿病に罹って、インシュリン注射の毎日。これから病院に行くの。」 一瞬掛ける声を失った。ともかくもメアドの交換をして分かれた。その夜、「私はいつ死んでもかまわない。むしろ死にたい。でも、父親より先に死ぬことはしませんから。」とメールが来て、それっきり連絡が途絶えたままだ。生きる目当てはない、しかし、親不孝はしたくない、といって自分のいのちを保とうとしている若者の存在を知って、いたたまれない思いをした。
 そして、まゆみちゃんのような死生観を持っている若い人の存在を、今もまた知っている。そこにはぼくが入り込む隙間など寸部も開いていない。「キャプテン」などなれないのだ。いや、そういう「思い」を持つことなど、おこがましい。
 おそらく、ぼくに声をかけてくださる方々は、まゆみちゃんたちに関わる時のぼくと同じようなのだろうと思う。そしてぼくは、それに応えようと、「もう一人の自分」をちょろりとは出すが本質的には隠して、リハビリに励み、健康回復を願っている「自分」を綴る。嘘ではない自分像ではある。そしてそんなぼくに「励まされる」とエールを送ってくださる。ありがたいと思う「こころ」と、ずんと重荷に感じる「こころ」とが葛藤する。そして、前者の「こころ」を持っているがごとき善人面で振る舞う。だけれども、不具合の方を痛感しはじめているこの頃、このぼくの着地点はどこにあるのかを見定めることに困難さを覚え、「半人前以下」の自分の生き抜く隙間の存在に光を見いだせないでいる。
 まゆみちゃんのように「お父さんより先に死ねないから、生きている」という言葉はじつに重い。