こころ 2 ― 回想1

 2004年の秋のこと、調査のためパリに滞在中、ある古書店の古書目録を眺めていたところ、Itardの文字が目に入った。De l'éducation d'un home sauvage, ou Des premiers dévelopments physiques et moraux du jeune sauvage de l'Averon (ある未開人の教育について、すなわちアヴェロンの未開の若者の身体的精神的初期発達について)と書名が書かれている。サイン入り!わが国では「イタールの第1報告書」とされている。ぼく「ああ、手にはいるといいなぁ。」、通訳「値段をご覧なさい。おやめになりなさい。」確かに日本円にすると50万円ほど。稀覯本中の稀覯本とは言え邦訳書もあることだし、その場では断念した。しかし、後刻購入を決意させる出来事が生じてくる。その一つが知的障害児者教育の歴史を原著(初版本)覆刻版で出版したいという出版社が現れたことだ。ちなみにそれは某氏による監修・編集・解説という出版社企画である。某氏に手よる収録候補(書物ならびに人物)の中からリストアップし出版企画書を纏めた。出版社は某氏のリストアップが大量に及ぶのではないかと恐れていたが、ぼくはかなり絞り込み、「第1次企画」として20冊−仏文書、独文書、英文書の総数−にし、知的障害児者教育史が概観できるようにした。それを某氏に報告にあがった時のこと。某氏「イタールの第1報告書は絶対必要だね。」、ぼく「そうでしょうねぇ。そう言えばパリの古書店でイタールのサイン入りの初版本が売りに出されていましたよ。」、某氏「それは是非手に入れてほしい。」、ぼく「ものすごく値がはるので手が出ません。」、某氏「あなたとぼくとで半々にして、最終的には国立国会図書館に納めて、誰でも手に取ることができるように、いわば、日本の宝にしたい。」。お説やよし。半額負担ならば何とかしたい。気持ちは入手の方向に進んでいく。(現在、某氏にはこうしたことがあったという認識は皆無である。全額をぼくが負担し購入、手元に置いている!某氏が<ひどく思いつきの人>だという情報はこの時点では得ていなかった。) このことをきっかけとして、某氏とぼくとの間でイタールに関する話題が増えていった。
ある日のこと、某氏がイタールの教育・訓練について、熱を入れてぼくに語ってくれた。「イタールが行った実践の場を是非知りたい。パリ郊外の自宅だか別荘だかのようです(これは映画からの判断のようである。事実は聾唖学校が実践の舞台.自宅は学校近在のアパート数室)。それと、セガンがイタールから学んだという場も知りたい。こちらの方はパッシーという、やはりパリ郊外だったようです(これはセガンの回想記録からのみの判断のようである)。」 この時に、「あなたは当然観てますよね?」という前置きでトリュフォーの映画「野性の少年」(邦題)についての詳しい紹介を得た。某氏「でね、イタールは自分のやったことを『失敗』だったと、言うのですよ。」、ぼく「イタール自身がそう言ったのですか?」、某氏「当然です。セガンがそう言っているのですから。」、ぼく「脱線しますけれど、先生は、セガンの言うことはすべて事実で、正しいとお考えですか?」、某氏「その通りです。白痴であった者を白痴でない、教育すれば普通の子どもになると言って始めた教育がうまくいかなくて、最後にそれは白痴だからだと気付いて教育を放棄したのですから。セガンの説明に矛盾はないですよ。」、ぼく「先生に先ほどご案内いただいたトリュフォーの主題、つまり、感動的なほど人間性、発達を見せた、ということ矛盾するように思いますが。」、某氏「それは、イタールが意識しなかった副産物です。セガンがそここそ大切なことなのにイタールは気がつかなかったから教育を発展させることができなかった、と言っています。セガン研究のためにもイタールについて是非学びなさい。」
・・・この某氏の語りは、その後のぼくの研究構想を強く束縛し続けた。それにしても、「セガンの言うことはすべて事実であり、正しい」という某氏の言辞は、ぼくの主体において、某氏との精神的距離を前より少し拡げることになった。