こころ 5 さくらんぼの実る頃(Le Temps des Cerises)


 今日のリハビリ散歩  6時5分出発7時30分帰宅 東武新柏駅までの所要時間は20分。やはり,健常であった頃の倍はかかる。しかも右脚付け根を痛みが襲い来る。駅からは脚を庇いながら、休み休み。白山神社に立ちよりお詣り。白山神社の縁起を明確に記した記録はない。大杉神社と稲荷神社の小さな祠が境内に併置されている。やはり、一帯が山林であったところを地域開発したのだろう。今谷の稲荷神社とさほど歴史は変わらないか。
 白山神社の境内は見事な絨毯が敷かれたようだ。桜の開花が終わり実を結ぶことなく散った残骸。下が土故、自然に委ねて、土に還ることを強く願う。頭上を見上げると緑の葉に覆われた桜の木の枝に、実が青く膨らんでいる!ああ、サクランボだ。ふと口に出る.あの歌…。

 Quand nous chanterons le temps des cerises  私たちがサクランボの季節を歌い
 Et gai rossignol et merle moqueur      陽気なナイチンゲールやマネシツグミ
 Seront tous en fête          すっかり浮き浮きしているであろう頃
 Les belles auront la folie en tête   娘たちは頭におかしな思いを抱き
 Et les amoureux du soleil au cœur    恋人たちは心に太陽を抱くだろう
 Quand nous chanterons le temps des cerises  私たちがサクランボの季節を歌い
 Sifflera bien mieux le merle moqueur     マネシツグミがより上手にさえずるであろう頃

 この歌作詞者「さくらんぼの実る頃」との初めての「出会い」は2002年11月1日だった。2000年度一年間のパリ滞在でパリ・コミューンに関わる史資料収集とフィールド・ワークを開始していた。大学祭の期間を利用してパリに渡った。ペール・ラッシェーズ墓地を訪ね、関係墓を探し歩いた。その時に、J. -B. クレマンの墓に行き当たった。ちょうどその日、フランスのお彼岸に当たる日だとかで、墓前にはたくさんの花が手向けられていた。それに対して、その隣の墓はさみしいものだった。 その理由がやがて分かるのだが、その時の感動をエッセイに綴っている。「おじいちゃんの、おじいちゃんよ http://eseguin.web.fc2.com/pdf/grand.pdf」 
 「サクランボの実る頃」は儚い恋と失恋の悲しみを歌ったもの、つまりもともとは恋愛歌である。パリ・コミューンの歌などと言われているが、作詞者のクレマンがパリ・コミューン議会の議員であったこととの関わりで、後年パリ・コミューンを再評価する機運が起こった19世紀末にこの歌が若い人を中心に流行したというのが本当のところだと聞く。
 さて、今日のリハビリ散歩で見かけたあのサクランボ、あれらが色づき紫色に熟する頃、ぼくは、歩くことができているだろうか。ぼくの人生に対する「儚い恋と失恋の悲しみ」を歌わなければならないのだろうか。