川口教育学?ありうるのかなあ。

 苫小牧の笠原先生に、昨日綴った「我が亡父へ」をメールでお送りした。早速ご返事いただいた。その中の一節。
「先生のお便り、胸いっぱいにして読ませていただきました。川口先生のお父様が軍人でいらっしたことはいつか聞いた気がしますが、こういうお話は本当に初めてで、川口先生の平和への思いの本物がここから来ているんだと胸いっぱいにして読ませていただきました。川口先生が生活つづり方を語る時も、平和を語る時もハンディキャップの子どもの発達の研究史をわれわれに説いてくださる時にも単なる理論ではなく、なにか胸にずっしりと来るものがあるのは、先生の生きてきた人生の重みが川口教育学の根っこにあるからなのですね。」
 定年退職と共に失った作業能力。頭は働くのだが作業能力の無能とが連動するのか、意思の能力を鮮明にすることができないでいる現状。このぼくが何を生き甲斐にしていくのか、混沌として前を向くことができないでいる。応援してくれる人がたくさんいることではだめなのか、という説諭を受けたが、「ぼくは何ができるのか」がわからないぼくにとって、応援は重荷にさえ感じる。「ぼくができること」に対して応援が,もしいただけるのなら、ほしいのだ。存在することに意味があるというのは思想であって実践ではない。
 笠原先生は「・・・への思いの本物」という言葉を使われた。ドキンと来た。ぼくの書く「理論」は日本刀の切れ味ではない、と志摩陽伍先生からご批評をいただいたことがある(『子どもが生きる教育の創造』に対して)。ぼくが「科学者である」と名乗ることのできない劣等感であり続けた源だ。しかし、もう、社会的立場は職業科学者ではなくなったのだから、「日本刀の切れ味」でなくていいだろう。「本物」でありさえすれば。それをもし、川口教育学と呼ぶことが許されるなら、ぼくは、それを目指して、いや目当てとして、これから残された命を営んでいこう。それが孤立した作業であろうとも、ぼくが存在する意味となる。いや、なってほしい。