母の夢

 昨夜、母の夢を見た。いや、正確に言えば、夢に母が登場した。虫に食われた背広の始末をしようとしているところへ、「あんなー、相談なんやけど」と母の声、振り返ると、教師生活晩年の頃の母の様子。腰も顔つきもしゃんとしている。母が養護学校で講師をしていた頃だ。この頃、母から、手話と口話の戦後教育史の位置づけを教わった。夢への母の登場は、このこととはまったく無関係で、「あんなー、家(いえ)売ったやろ?家を買うてくれた家(うち)から、壁のすす払いしてくれやな困る、と文句言われてなぁ。あんた、してくれやんやろか。近所づきあいやし。」「んなこと言うても、売った家はもううちの家とちゃうで。なんでそんなこと頼まれんのや」「まあ、小作みたいなもんやなぁ。」夢の記憶はそこまで。
 なぜ、母が夢に出て来たのか、そして壁のすす払い・・・。
 我が家を建ててから壁の塗り替えをしていない。塗り替えをしようと業者に頼んであるのだが、いつから工事が始まるのか、不明である。壁の塗り替えの言いだしっぺは妻、だから(ということにしておくが)業者探し、支払はすべて妻に任せてあるのだけれど、おせっかいにも、いつからが工期なのか気になったのが昨日のこと。だから、夢の「すす払い」は「壁の塗り替え」、なのだろう。
 「壁の塗り替え」に無関係な母が登場したのには、手話法・口話法とからみがある。清水寛先生と、昨日電話で、手話法を教育方法に初めて採り入れ学校を創設したドゥ・レペ、口話法を初めて教育方法に採り入れたペレール、手話法と口話法との今日に至る歴史、その歴史過程におけるそれぞれの評価、扱い、について、語り合った。
 手話法はマジョリティーから見ると暗号のようでしかない、だからマジョリティーは手話法を禁じたという歴史がある、とくに戦争中は敵性語(スパイ語)とみなされていた、それに対して口話法は、開発者のペレールがいみじくも言ったように「フランス国民になる」ために「フランス語を聞き、話す」ことが必要である、つまり、マジョリティーの一員となるために口話法を必要とした。
 このことについて母から教わったことがあったので、清水先生にその旨をお話した。昨日の印象深い会話であったわけである。
 母が夢に登場したのはこのような背景がある・・・とぼくは自らの夢(精神)を分析している。
 手話法と口話法についてのぼくのエッセイは下記。
 http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/bogo.mht
  (「母語」性を考える)

 授業「道徳教育の研究」
 自由意志参加のディベート。参加する限りは議論に参加するために事前に調べてくること、との宿題のもと、40人ほどが参加。審査員に4名を選んでもらい、「死刑制度は廃止すべきである」の命題の下で行なう。第1ラウンドは審査基準を事前には公表せず、第2ラウンドは事前に公表する。目当てのない「論理ゲーム」と目当てのある「論理ゲーム」。当然、学生たちは、目当てのある「論理ゲーム」が格段に論理性が高まることに気付く。いつも授業参加欲を見せない女性3人組が次第にのめりこんでいく姿を見るのは面白い。