セガン研究の趣旨

人間の子どもとして生れ落ちた人びとの中で、人間として扱われず、育てられず、ある者は闇に葬られ(抹殺)、ある者は社会の外に棄てられ(遺棄、隔離)、ある者は生涯を<囲いの中>で過ごさせられていた(幽閉)その人群れの中に、<はくち>(重度知能障害者)と呼ばれる人たちがいた。
<はくち>はもともと和語ではない。漢語で白癡としてきた。我が国文献ではすでに8世紀に初出を見る。「白」(「明確な」)と「癡」(「おろか」)の合字である。何を以て「おろか」とするかは共同体(社会)のあり方と関わってくる。つまり、共同体性に同化することから距離が遠くある人の特性を示す。したがって、白癡は、もっとも(=「白」)同化距離から遠くに存在する社会性(「癡」)、とみなされる。古代国家以来近代に至るまで、むしろ白癡は、同化社会における異化的存在(同化不能的存在)としてみなされ続けてきた。このように、漢字文化としての白癡(白痴)は異文化的存在である状態とその人という二重の意味を持つ。
ヨーロッパ語、とりわけフランス語で<はくち>はどのように表され、どのような処遇がなされてきたのであろうか。
<はくち>は、今日、一般に、idiotie(イディオティ)、idiot(イディオ)と表現されている。ともに医学用語として常用されており、前者は症状を、後者は人を表す。これらの主たる語源はidiôtês(ギリシャ語)、idiôta(ラテン語)である。ギリシャ語では公人に対する概念としての私人を指し、ラテン語では内部者に対する外部者を指す。古来、さまざまな定義や概念が提出されてきているが、やはり漢語文化と同じく、同化社会における異化的存在(同化不能的存在)であることを示す状態でありその人のことであると言える。
いずれにしても、直截に言えば、特定の同化社会にとって大変扱いに困る症状であり人であるということであったのだろう。そういう症状や人は、歴史過程で言えば、白痴だけではなかった。同化社会(コミュニティー、共同体)の変容とともに多くは同化可能とみなされるようになったが、白痴は近代初頭まで同化不能であると処遇されてきた。
本稿では、白痴に、教育によって人間としての発達の可能性を実現させ、その教育を体系化し普遍化することの歴史的意義を確立した、つまり、白痴は人間であり、白痴を人間世界の闇から人間世界の陽の当たる所に導き出した歴史過程の一場面を綴っている。この歴史過程はまた共同体が同化の質と幅を広げていく必然があることを説明している。舞台はフランス。時代は19世紀前半。
白痴教育は盲・聾等の教育に続いて実現された障害児教育であり、孤児・病弱児などに対する教育保障の実現過程に符節を併せている。白痴教育の創生過程に傑出した力を発揮した一人の若者エドゥアール・オネジム・セガンが本稿の主人公である。

本稿は歴史の中で創られた虚像を実像に置き換えるための基礎作業である。