「生徒指導の研究」「道徳教育の研究」

 昨日は「高齢者になった内祝い」を池袋で楽しんだ。そのため、昨日の授業の「総括」が今になった次第。
 「生徒指導の研究」は、「いじめ」という問題に焦点化した授業から、「生徒指導とは」という、いわば一般論へと拡大。「生徒指導の意義」についての検討。文部行政の指針を提示・グループディスカッション、教育委員会の指針を提示・グループディスカッション、某県立高校の指針を提示・グループディスカッションと次第に実践現場に焦点化した学習。教育行政の指針を教育現場がそれぞれにふさわしい内容と方針とを定めて生徒指導がなされることを理解。前期のように、文部省の行政指針を「理想論だ」と内容の具体検討をしようとしないような学生は出なかったのは嬉しい。前期は文部省の指針だけで学ばせようとしたことに問題があったのだとも気付かされた。
 「道徳教育の研究」は、非常に熱気溢れたディベートの翌週だけに学生達の授業参加の姿勢はどうだろうかと、教室に向かうが、日常と何の変化もない。切り替えは早いのだなぁ、器用に。道徳の授業のシミュレーション、課題は「生徒の参加型の授業を目指す」。その第一回で、予備作業もないので、「地域のお年寄りを教室にお迎えし、お年寄りからいろいろとお話を伺い、自分の生き方を見つめる」という授業課題を与える。教師役は急遽、2名の女子学生に依頼。お年寄り役は「昨日高齢者の仲間入りをした」との挨拶でぼく。「地域」とは「学習院」とする。
 いろいろと質問が出たが、やはり聞き下手というか、何を引き出すことが自分自身が学べるのか、自分自身に返ってくるのか、ということはできていない。当たり前のことだが事前の準備不足ということが大きな原因であるとは総括で言ったが、人とコミュニケーションをとるということが十分でないことを思い知らされた。学生たちには「聞き下手だ」と。教師になって生徒に「聞く」ことは、今の段階では、かなり難しいと強く感じた。
 来週も引き続き参加型授業。学生の二人に「音楽と自分」を各15分ずつ語ってもらい、聞き込みによって「教室の仲間を理解し、自分の生き方を見つめよう」の課題を果たす。来週は男子学生の出番だ。
 先ほど教師役を依頼したN君と鉢合わせしたついでに、授業の狙いを語る。「クラスメートの話を聞いて、自分のことを見つめる」ということを行ないたい、と。

 今日から清瀬で授業が始まる。