社会の「暗い谷間」に追いやるのか?
日本生活教育連盟MLへの投稿。
「ご承知のように神田高校入学者選抜試験不合格の問題がにぎわしく報道されています。入学試験の公表基準とは別に「裏基準」で以て受験生を選別し、公表基準では合格だが裏基準によって不合格とした、このことによって学校長が行政処分を受けた、という問題です。学校長に対する処分撤回の署名運動が盛んになされています。
神田高校は、生徒の「荒れ」に強い諦観が支配的だったこの学校から「荒れ」をなくし、生徒たちが「今」と「未来」を語ることができるようになっていたことで注目されています。署名運動などの質を見ていると、今回問題化した「裏基準」によって「荒れ」の引き金になる源を少なくすることによって、こうした教育の成果が生み出されたのだと、みなしていいのでしょう。(もちろん、それだけで、すべての教育の成果が語られるはずはないのですが。)
さて、この問題を真正面から捉えなおすという力量は私にはないのですが、「裏基準」で不合格になった子どもたちは、これからどこに行くのだろう、と気になってなりません。「裏基準」だったから社会問題化されているわけで、「裏基準」の内容と方法とを「表基準」にすれば、学校の「荒れ」はなくなる、大幅に少なくなる、などという短絡的な発想が生み出されかねない現状を見ていると、不合格になった子どもに象徴されるような「文化性」の持ち主達は、学校でも相手にされず、社会でも相手にされず、いや、あらゆるところで排斥される。このことの方が、かなり大きな社会問題ではないか、というのが私の老爺心。
まさか、「夜回り先生」を大量に生産すればよい、などとは考えますまい。子どものすさまじい「荒れ」に苦しんだ1970年代後半から80年代前半にかけて生み出された創造的で大きな教育実践、とりわけ両角憲二先生の『バラサン岬に吠えろ』を強く懐かしむ川口です。」