初めての経験&方向性への気付き

 昨日、「現代学入門」最終回授業で、担当教員によるパネル・ディスカッションが開催された。ぼく(いじめと暴力)、哲学の酒井先生(歴史と暴力)、身体表象の夏目先生(漫画と暴力)、やはり身体表象(独文)の大貫先生(表象・イメージと暴力)。ぼく以外のパネラーのお話は気宇壮大。どうしても学校関係の発言だと正義・不正義が前面に出てしまい面白くない。ぼくは途中で梶を「近代」の暴力性に変更。なんたって、「学校」は近代の産物だから。「学校」という器の持つ暴力性について話を切り込みたかったが、そこに至る前にタイム・アップ。
 それにしても、週刊朝日で愛読した夏目房之介氏と、同一平面に立つことになるとは。やけにははしゃぎ気味の「教職の川口」なのであった。

 このシンポジウムで言い残した問題については、新著(田村さんとの共編著)にゆずることにした。
 近代を支える暴力装置としての学校をいかに、メカニックに、変革していくか。「近代」からの脱却の風体をした、似非現代性ー「学校選択性」などの「構造改革」ーの表象性を厳しく批判してみたい。