立派に育つぞ!誠ちゃん

 昨日、ちゃんこ鍋をいただいた「霧島」で写真を撮らせていただいた「まことチャン」のご家族から、素敵な写真が送られてきた。


 陸奥(みちのく)親方に抱き上げられた誠ちゃん。おお泣きに泣いている。力士に抱っこされるのはゲン担ぎで「力持ち」すなわち立派な男に育つようにとの願いがこめられている。そして幼児が泣くのは言うまでもなく「泣く子は育つ」。泣くという行為は呼吸器を目いっぱい使う体力のいる仕事である。体力を使えば丈夫に育つわけだ。誠ちゃん、立派ないい男になるんだよね。
 それにしても、誠ちゃんを膝に抱っこしていたお爺様、昔よく見た東映映画の主役を脇で固め渋い演技をしていた俳優さんなのではないかしら?芸名までは思い出せないのが残念。
 
 ぼくとトドちゃんとが囲んでいた膳は、陸奥親方の現役時代霧島の活躍を示した表彰状(技能賞)やら写真やら相撲人形やらの飾り棚の前であった。ついつい二人の相撲談義となる。
 トドちゃんの話で印象的だったのは、お母様と一緒に砂被りのすぐ後ろの席で相撲を見ていたけれど、お母様は相撲を終えて控えに帰るお相撲さんの背中をベチベチと叩いていた、という話だった。これも「力を分けてもらう」というゲン担ぎ。力いっぱい叩く客もいたろうなぁ。
 ぼくの大相撲の原始的な記憶は、半世紀以上も前の、小学生高学年の時、二所ケ関部屋一門の巡業がぼくの町で行われ、近鉄久居駅前の広場で小屋が掛けられた。トドちゃんには、初代若乃花が関脇から大関に推挙されたばかりの頃で、一門の巡業は、ものすごい荒い稽古(竹刀や縄で背中や尻を打つ)に目を丸くしたこと、そのときのお相撲さんで若の海という人をひいきするようになって(もちろん、たんに「好き」というだけで、「おひねり」などはいたしません)、彼は後、荒岩という名前で小結までとった、というような話しをした。
 ぼくが本物相撲を見たのはそのときが初めてで、今のところその時が終わりである。だから、ぼくの本物相撲ということのイメージは、荒い息、立ち上る汗と怒号、そして足で土を引きずる音、バシンバシンという音と背中の赤い何本もの筋、というもの。この巡業ですっかり相撲好きになったぼくは、ラジオから聞こえる相撲中継に耳を傾け神経を集中させ、相撲の荒い息などが聞こえてくるたびに、この時の荒稽古の光景を思い出していたものである。
 相撲は男子の間の遊びでありスポーツであった。相撲好きであるにもかかわらず、ぼくは、いつも投げ飛ばされてばかりいて、中学2年生のときなど、同じ友達に50連敗という記録を作ったほどであった。それでも、若の海得意の「掛け投げ」で、51連敗を免れたのだったなぁ。
 ついでの話に、相撲小屋が掛かったその広場で、紙芝居は日常的に、時々には「親の因果が子に移り〜」という呼び込みのある見世物小屋が掛かった。よく、親に内緒で見に行き、親に告げ口する大人に出会って、大人不審になったものだ。