2009年新春

 新暦慣習と旧暦慣習とが入り混じるわが国の「こよみ」。今日は正月元旦。年改めという。新暦の言い方。「歳改め」だと旧暦。「新春を寿ぐ」は旧暦だなぁ。この寒空の中を春と言うんやけんねー。
 「よい歳をお迎えください」(旧暦慣習) 日本社会全員が1月1日に歳を取る。明けたらハッピー・バースディやけんね、というわけ。
 これが「よい年をお迎えください」(新暦慣習)となると、「続く年が、あなたにとってよい一年でありますように」という無病息災家内安全立身出世「いい日旅立ち♪」なんでもかんでも吉事を祈ることになる。
 ぼくは子どものころは旧暦慣習で育てられたから、今でも旧暦の感覚で生活することがある。
 
 ぼくは無宗教(敬虔なものに対する自然な祈りの精神はあるので無信仰ではない)、細君はプロテスタント、上娘は・・・知らない・・・わが家族であるが、この土地に居を構えて30年、年が明けたらすぐ近在の氏神様(白山神社)にお参りをするのが習慣となっている。農地、果樹林、雑木林などが残っていた昔からの農村風景の中の氏神様。障子の破目からお賽銭を投げ込み、「今年もこの土地の一員として平和に過ごさせていただきます」とお願いをしていた。「氏」の一員ではないが、「よそ者」ではありません、という願いだ。年明けすぐのお参りは、まさに近在の人たちだけで、閑散とし、それだけに厳粛さを覚えた。この氏神様が活躍するのは、正月ではなく、むしろ「お盆」であった。狭い境内に踊り櫓が設営され、テキヤが集まりにぎやかな商いが営まれる。流れる音楽が「東京音頭」でなければ、まさに昔ながらの盆踊り光景となる。
 が、ここ数年の間に社殿および環境がきれいに整備された。「氏神様」ではなくなり、冠婚葬祭を営む「神社」となった。確かに、農地、果樹林、雑木林のことごとが消えてなくなり、アパート、駐車場に変身。隣は誰が住むのかもわからないというのは大げさではなく、「町内」の「ごみ当番」などで顔を合わせても挨拶のない、「都会」そのものの無関心地域となった。障子の破目からお賽銭を投げ入れる光景ではなくなり、立派なお賽銭箱が設置され、人々は列をなして、「初詣」をする。今年は特に、初詣の列が長かった。参詣を並んで待つ間、上娘、下娘、細君、そして犬を引き連れて、カランコロンと下駄履きで、「氏神様にご挨拶」をしていたころのあれこれを、懐かしんだ。氏神様にご挨拶をする途中で出会う人とは、必ず、「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」と寿ぎを交し合った。
 今年は家を出てから帰るまで、一切無言であった。こんなさびしい光景の日本社会なのだ、現実は。
 
正月元旦昼下がりの白山神社写真案内
 
まず鳥居から

左手は駐車場。右手は児童公園。この児童公園でわが娘たちが大いに遊びました。また、歴代の飼い犬たちの遊び場でもあり、とくにワンタはウンテイと滑り台が得意で、道行く人たちの好奇心と拍手を浴びたものです。
 
続いて境内

写真右手にはお清め水があります。じつは、次の写真に登場する若夫婦がお清めをしようと真っ先に立ち寄ったのですが、柄杓がありません。夫君が妻君に向かって説明するのですが、妻君はよく理解できないようでした。実技が伴わないものね。
 
最後に社殿

夜には置かれていた賽銭箱が撤去されてしまった社殿の前で、吊鐘(鈴?銅鑼のように見えます)をガシャガシャやって夫婦は祈ります。ニレイニハクシュを夫君が妻君に教え、妻君がそれに倣います。夫唱婦随のいい光景。じつは、このご夫婦、奥様が白人。赤ちゃんを抱いておられました。日本で始めてのお正月とか。お子様が健やかに育ちますように。ナニ、人などいなくても神様がおわしませればそれで結構。神主に代わって禿の鶴が日本の八百万の神さまに強くお願いしたしだいです。自分のことはなーんも無しの鶴流儀。
 
 昨年の下品な流行の言葉に「品格」というのがありました。それを拝借し、白山神社に言葉を差し上げましょう。「お清めもできない、お賽銭も差し上げられないのでは、神社の品格に欠けますね。」
 賽銭箱が撤去されてしまったとお福ちゃんにメールを送ったら「早いですねー。」と返信。そうですよねー、せめて正月三ケ日は参詣者を迎える姿を止めていただきたいですねー。鶴はお福ちゃんに返信、「神主さん、名だたるお寺さんにお参りに行くため、店じまいしたのでしょうね。」