教育論考察のために

 新しい教育学書の編集企画に頭を悩ませ続けている中で、どうしてもおさらいしておきたいものは、「近代」論である。とりわけ欧米の思想・哲学をほぼ全面的にバック・グラウンドとしている「世界教育学」を総括し、新たな方向性を見いたすためには、1.ヨーロッパ「近代」の行き先は何か、2.ヨーロッパ「近代」が教育実践をどのように規定してきたか、について考えを深める必要がある。通常のこういった考察は、2.から1.へということになるのだが、まず、行き先に明かりをともしつつ、来し方の実践を捉えるということに、梶を取る。なかなか見合う文献に出会わなかったが、ぼくのこれまでの思考方法を思い切って変えてみることで、文献が見えてきた。とりわけ2.については、大田尭『近代教育とリアリズム』(福村書店、1949年)が再考対象となる。「本郷プラン」の理論的ベースとなる書物。実学主義(リアリズム)という視点で教育史をたどったものである。「自然」→「生命」→「社会」の発見史が綴られているが、さて、この後、すなわち1950年代以降、教育はどのようなプロセスを歩んだのか。今後の教育におけるリアリズムとは何なのか。ヒントとなるものを得られればと願う。
 
 前々から強く入手を望んでいた中野善達・加藤康昭共著『わが国特殊教育の成立』(東峰書房、1967年)を落手。今は亡き加藤康昭先生の東京教育大学大学院在学中の労作。全盲の加藤先生が点字板でモノをお書きになっていた姿が今も目に浮かぶ。それにしても、この世代の方々の知的な力は脅威という言葉で評する以外にはない。「一国の教育の水準およびその近代化のバロメーターは、その国の特殊教育がどの程度に発達しているかによって推察しうる・・」との序文書き出し。けだし名言である。「特殊教育」が「特別支援教育」と名を改められたことによって、この名言は名実共に死語となってしまった。残念この上なし。