さらにまた新しい発見ーセガン研究

 セガン研究が深まれば深まるほど、セガンの「自我」の強さとそれによって想像的に創造された歴史記述とが鼻についてくる。だからこそ、それに全面的に依拠してきたこれまでのセガ研究史とが、色あせてくる。果てしないクリティーク。
 今日は、フランス国立図書館のサーバーサーヴィスに入って、Johann-Christoph Hoffbauer, Médecine légale relative aux aliénés et aux sourds-muets, ou Les lois appliquées aux désordres de l'intelligence(J-C. ホフボウ『精神病者、聾唖者に関する法医学、あるいは知性の障害に適用される諸法』)を「発見」。イタールとエスキロールとが注記をしているというので興味を持ち、イタール執筆が予想される「聾唖」の章を読み進める。ありました!同書は1827年発行。「全く動物のような暮らしでいのちを紡ぎ、森の中でひとりで生きた人間に見られたある状態が、先天性の白痴なのかたまさか愚鈍・白痴のような状態なのかの検討は、今もなお必要である。この事例のようなことはいくつもあり、その事例の一つとして、今世紀初め、アヴェロンの森に棄てられたひとりの子どものことを挙げることができる。云々」と書いているのである(183頁)。
 セガンが言うようにイタールがヴィクトールを病院に幽閉したとすれば、このような記述はありえない。
 「果てしない物語」になってきたなぁ。エンデのような、というのではない。いけどもいけども尽きない「なにが本当のことなの?」という疑問・不審という名の地獄門・・・・。