気力が少し萎えた日

 二人の男子学生が来室。一人は進路相談、一人は受験相談。進路相談の君とのやり取り。
 「自分は教師になることしか考えてなくてシューカツぜんぜんやってません。で、自分は編入してきたためにこっちのシステムで卒業までには教職の単位全部取れません。卒論を出して合格したので今度卒業できるのですが、留年したほうがいいでしょうか、科目等履修生では教職の採用の履歴で不利にならないでしょうか。」
 この君は、今年度のぼくの授業を3コマ取っている。ちょっと斜に構えた姿勢を論理にも文字にも現している、なかなかぼく好みの青年である。
 「どーんとお金出してあれこれ授業を取って教養を身に付けたいのなら留年、お金がない、とにかく免許状を取得したいのなら科目等履修生、教育界はまっさらさらのキズがない人間を求める、ということはないから、必要な科目だけ取って、教員採用試験勉強をするのですね。」
 ついでに、やはりこの君にも、ぼくがとても怖いという情報がインプットされていたことを聞き出した。「静かで落ち着いた授業、あれこれ創意工夫をした創造的な授業、こんな素晴らしい学習環境が整っているのは我が大学我が教職課程だけだと思いますよ。」というと、「前の大学では50人ぐらいの授業でも半分が騒いでいるし、先生が注意しても聞かない、そんな状態だったから自分は大学に絶望して退学しました。そしてお金を貯めて、いろんな情報を集めてウチしかないと決意して受験したのです。来てみて、入学して浮き足立っている新入生の教室は落ち着かないけれど、そういう雰囲気のところで、先生みたいなのが、どーんと、当たり前の雷を落とし、授業を参加型に変えていく、そういう工夫がされているから、静かな環境が誕生してますね。」と、具体的な指摘をして、賛意を示してくれた。「応援しますからね、いつでも来てください。ただ一言、少し斜に構えている文字をもう少し立てる気持ちを持つといいね。ペン習字でもしますか?」
 
 文献目録作成に入っている中で、今後のセガン研究の課題と方法とを掴もうとするが、なかなか進まない。風邪以来、根気が続かないのだ。それでも一つの「発見」。1848年革命にセガンが参加したかどうかは、セガン伝の上で、新しく大きな課題だが、『MEMOIRES DE CAUSSIDIERE』を入力。古書店の親父さんの勧めで購入した書物だったが、今までまったく開いていなかった。人物名を拾い読みして、同書が、1848年革命を証明する価値ある資料であると気付くような始末。Marc CAUSSIDIERE(1808-1861)。モンターニュ派山岳派)の活動家で革命で成立した臨時政府の「警察(=内務)」に任じられている。翌年国外追放。セガンと思想・政治活動においては通底している。