史料検証 いわゆるクリティーク

 昨夜帰宅時マックで休んでいると、声を掛けてきたお嬢さん。いやーあ、なつかしの媛さまではございませんか。国会情報など突っ込んで聞きたいところだけど、職務上の問題もあろうと思い、あまり聞き込まなかった。政党付ではなく委員会付とのこと。「不偏不党を心がけておりますの、ウフフ」という風情。お元気で何よりでした。

 貴婦人トドちゃんから北の便り。昨夜は「人工オーロラを見たのよ。麦藁を燃やして出る煙にレザー光線を当てて擬似オーロラを楽しみました。」とのお話し。今朝の朝日新聞一面にカラー写真で掲載されていたので、やっとリアリティを持った次第。北海道北の果てでは自然のオーロラは見られなかったかしら?
 今日のトドちゃんは流氷見学だそうです、いいなー。白鳥の餌やりを楽しみ、高い梢にオジロワシの雄姿を眺め、その後バスに揺られて。
 セガンの1843年論文。これがセガンの本格的な白痴教育論の嚆矢となるもの。『公衆衛生と法医学雑誌』第30巻、1843年7月、に掲載された「白痴の衛生と教育」で、同誌pp.59ー112、pp.265ー320に分割掲載されている。この論文は「110ページの冊子」として同年に出版された(中野善達訳『エドゥアール・セガン 知能障害児の教育』ー福村出版、1980年ー所収「訳者あとがき」による)。この冊子版は未見であるが、中野氏の訳文を見るかぎり、雑誌掲載論文と同一であると考えられる。
 セガンの業績を顕彰する作業はこれまで何回かなされてきているが、ペリシエ等の一連の作業が今日のセガン研究にとっては非常に有意義である。「1843年論文」は、ペリシエ等の『エドゥアール・セガン(1812-1880) <白痴の教師>』(エコノミカ、1980年)に全文収録されている。
 さてこの掲載論文(3.「ペリシエ等本」とする)はその出典は、1.「雑誌原典」か、2.「110ページの冊子」か。それともさらに別の版があるのか。体裁で言えば、いかにも冊子の複製のようにも見える。しかし、ぼくの中にかすかに残っているらしい研究者魂でもって、史資料の厳密な検証をし間違いがないという確信を得てはじめて論文作成の資料として採用するというクリティーク(史料検証)を、現在試みつつある。2.「110ページの冊子」は未入手なので、1.「雑誌原典」と3.「ペリシエ等本」との比較検証の作業である。今のところで言えることは、両者の間には差異がある、ということである。文法上の差異に留まるのか、意味差異に留まるのか、それは今後の研究課題となる。