集合住宅の管理人

 集合住宅の管理人については、鹿島茂氏のエッセイ「門番女のクモの糸」が面白い。
 (鹿島茂『職業別 パリ風俗』白水社、1999年、所収)

 ぼくも、売ることのないエッセイ ー正直に言おう、出版社がつくことはあり得ないエッセイー で、ささやかに綴ったことがある(「ブザーが鳴る」)
 (瀬田康司『う゛ぁがぼん漂流記』2001年)

 次にそのエッセイを再現しておこう。暇な方はお読みくだされ。少々長いです。



ブザーが鳴る


 共同体の開放的な生活様式に慣れ親しんできたぼくなどは、日本に最近建つようになった高級マンションのセキュリティの厳しさに、一度訪問したあとは金輪際行くものか、などと意地を張ってしまう。しかし、その金輪際行くものかと思うセキュリティがフランスではごく当たり前だとは、思いもしなかった。

 パリに来る前には、少しでもフランス文化・生活のことを知っておこうと、通常の旅行者ならば旅行ガイドブック、留学生など滞在を目的とするものは「生活法」などの本を購入し、事前に調べておくものだ。しかしぼくなど、教育の世界に生きて○○法なるものに辟易させられてきたという哀れな経験を積み重ねてきているため、「旅行ガイド」も「生活法」も、端から目に留めなかった。その代わりというのも変だが、書店の書棚に「19世紀のパリ風俗」「フランス言葉事典」などという書名を見つけると、いつしか心をはずませている自分がいることに気づく。生活の具体的な事柄の不明なこととの出会いは、曖昧模糊とはしているが、大きな不安であることは間違いない。しかし、その具体的な事柄についてペーパーで事前に情報を仕入れておくという気にはどうしてもなれないのだ。生活を嘗めていると言われればそうなのかもしれない。だが、ペーパーに書かれていることなどは、おそらくだが、パリ在住の知人に訊ねれば用が足せるだろう、だが、ペーパーに書かれていない事柄こそ、ぼくが悩み、喜ぶ生活の具体なのではないか、という観念がわき起こってしまうのである。さりとて「19世紀のパリ風俗」や「フランス言葉事典」が実際の役に立つとは、とても思われないのではあるけれども。

 日本ではマンションという集合住宅も、フランスではimmeuble(イムーブル)と呼んでいる。そのイムーブルつまり集合住宅建築物によって、パリの街並みが作られている。一つのイムーブルに一つの機能を果たさせるというのは、たとえば美術館だとか国家レベルの役所・裁判所などごく少数である。大きなデパートと言われているものでも一つのイムーブル全体を占めているというのは、そう例があるわけではないようだ。表通りのイムーブルの多くは、低階層が各種商店、その上が住宅専用となっている。裏通り(そういう表現が好ましいのかどうか知らないが)のそれは低階層が倉庫・事務所などになっているところが多い。もちろん一つのイムーブル全体が住宅専用であることも少なくない。

 イムーブルに入っている各種住宅は、最上階が屋根裏部屋と言われるワン・ルーム。ワン・ルームの住宅のことをstudio(ステュディオ)と言うが、ステュディオのすべてが屋根裏部屋であるわけではない。ステュディオ以外はappartement(アパルトマン)と呼ばれる。ステュディオが単身者生活用住宅、アパルトマンが家族生活用住宅と考えればいいか。イムーブルも、昨今、近代建築に立て替えられつつあるそうで、屋根裏部屋にまでエレベーター通っているようなイムーブルもある。そうなると、もう「屋根裏」部屋とは言えないだろう。

 「屋根裏」というのは、本来は、住宅とは別の概念であり、半奴隷状態の女子あるいは男子が複数で住まわされていたという。当然、屋根裏部屋には暖房のためのペチカなどは据えられていない。極寒の季節、体を寄せ合いながら、寒さをしのがなければならなかったという。フランスが近代社会に変貌を遂げて以降は、経済的に恵まれない未出世の若者たちが、将来の立身を夢見て、生活苦に耐えた住空間である。もちろん、現代においても未出世の若者たちの将来準備の空間である役割を持ってはいるが、次第に、単身者生活の空間として重視されるようになってきている。それと共に屋根裏部屋とそうでない住空間との差別化の意味がなくなって、ついには全階(もちろん「屋根裏」階にも)エレベーター設置のイムーブルが登場するようになってきた。屋根裏部屋と言えば、トイレ・シャワー・炊事場は共用が通り相場だったが、今では共用にしているところは、珍しいほどだと聞く。

 日本人の若者が住む屋根裏部屋を訪問したことがある。建築後どれほど建っているのか、かなり古く、螺旋階段は木製であった。螺旋階段を中心に、各階とも、まるで階段が木の幹、その幹から短い枝のようにアパルトマンへの入り口への「廊下」が続く。そして最上階が「屋根裏部屋」の空間。階段をドーナツ型に囲む「廊下」があり、3部屋の入り口と、もとは共用であったシャワールームのドアがある。若者の案内に従って室内に入って、昔懐かしい匂いを強く感じた。10平米弱のその空間はドアの向かい側と右側が壁、左側が小さな窓。ドアの向かい側にようやく一人分のベッドが据えられている。ドアの方の壁側はドアを挟んで、右側が簡易キッチン・小さな冷蔵庫(その上は調理用空間)、左側がカーテンのみでしきられたトイレ。天井は中程から窓側に向けて強く傾斜しているので、トイレで用を足すとき、男性は小用にきわめて不自由を感じる。若者の前の住人は医師を目指したスエーデン人男性だったという。

 「19世紀のパリ風俗」に描かれている空間そのものとの出会いに、ぼくは改めて、パリが世界中から文化を求めて若者たちが集うところ、という意味を知った。けっして華美でもない豊かでもない生活空間に支えられているパリ。だからこそ、貧困な若者たちが夢を追うことができるのだろう。これ以上家具を置くことが不能ということもさることながら、体一つ動かすにも不自由さを感じるというほどの住空間に当惑しない日本人若者が、今時どれほどいることだろうか。そして彼らがあこがれるパリは、この屋根裏部屋とはまったく異なったところにあるわけだ。

 さて、話題が趣旨からやや外れていることを幸いに、大きく脱線することにしよう。屋根裏部屋の屋根の上に小さな赤い煙突群が並び立つパリのイムーブル。それらの小さな煙突の利用空間がアパルトマンである。1970年代以降急増した移民対策で建てられた超高層イムーブル、新都心に建てられた超高層イムーブルなどを例外として、パリのイムーブルは、屋根裏部屋をはじめとして歴史の趣を語る建築様式が取り入れられている。通りに面した壁面には、さまざまな彫刻が施されている。女性の顔が象られている建築物が多い。これはフランスの愛称がマリアンヌという女性を示すものであることと無関係ではあるまいと推測しているが、まだ確証は得ていない。その他には、おそらく各貴族の印だろうと思われる、実在のあるいは空想上の動物を形象したものが見られる。これらの歴史的な建造物の改修には、ずいぶんと苦労することだろうと、他人事ながら、行き交う毎に見上げている。

 フランス入りして3ヶ月経った頃、もとはある銀行の建物が改修中であった。通りに面した古い壁だけが残され、あとは壊されつつあった。なるほど、残っている壁は、街の景観のために最後まで手をつけずにしておき、いざ最終段階で壊すのだな、と納得していた。それから2ヶ月ほど経った時そこを通りかかると、表の壁はそのままで改修工事もかなり進んでおり、奥の方には鉄骨が建てられていた。このときも、最後の最後まで壁は残しておくのだ、と推測した。ところがつい先日、カルチェ・ラタンを歩いているとき、同じような改修工事の場面に出くわした。やはり表の壁は残されたままである。ある銀行の改修工事の時には気づかなかったが、このときには、その隣のイムーブルがつい最近改築工事を終えたばかりであることに気づき、そして、何と、表通りの壁は古いまま残されていたことを「発見した」のだ。建物を側面から見ると、じつに異様な色合いである。数10センチの厚さの、150年ほど前に建てられたときのままの壁は黒くくすんでいる。そしてそれ以外のところは真っ白なのである。隣の建築物の壁が取り壊されたことによってあらわになったその光景は、パリの歴史が、ものの見事に改竄され、味わう者の感傷を裏切るもののように思われた。まさか、すべて歴史がこのような「解釈」の上で編集されなおし、今日に提示されているわけではあるまいが、多少、歴史を追っかけている立場にある者としては、改竄史はたびたび行われる権力者の常套であることを知っているだけに、この発見は、少々ショックが大きかった。まあ、江戸時代から続く老舗の建築物が超現代的で、その正面玄関には江戸時代の木製の看板が掲げられ、いかにも歴史を語っているという風情と同じだと思えば、心の痛手は小さいのだけれども。

 その点、我がアパルトマンのあるイムーブルは、入居時から、近代建築物ですと聞いていたとおり、壁が呼吸などしようもない、コンクリートの冷たい壁である。もちろん室内の壁にはクッション感覚がある壁紙や布が張られており、おかげで体をぶつけても、さほど冷たさや痛さを感じることはない。そればかりか、猫が運動不足解消とばかりに壁を登る行動をする。壁を登る猫、なんてそうお目にかかれるものではないので、ここの住まいはまんざらでもなく感じている。

 壁登りを楽しんでいる猫にとっての大敵は、時折なるブザーである。ベッドルームで休んでいると電話の音にさえ気づかないぼくが、このブザーには飛び起きてしまうほどの大きな音で、室内に響く。

 入居したての頃のこと、ブザーが鳴るので、玄関ドアの小さな覗き穴から外を窺うが、誰もいない。このフロアには3戸あるが、呼び鈴を押す悪ふざけをして楽しむ年代の子どもはいないはずである。はてさて・・・。ベッドルームに戻ると、再びブザーが、今度は二度続けてなる。猫は猛烈な勢いで室内を走り回り隠れ場所を求めている風、ぼくは再び玄関ドアのところへ。覗き穴から見るが、やはり誰もいない。このようなときはどうするのか。パリ在住の知人に相談するには、あまりにも事態が直面しすぎている。玄関ドアの右側に受話器がついている。我が家にはこのようなものはないので確かなことは知らないが、つまり経験知的には何もないが、ひょっとしたらこれがインターホンというものなのだろうか、と瞬時考えた。

 受話器を取り上げてはみるものの、もしもし、というのも変。何たって、ここはパリ。パリでもしもしはなんと言うのだろう・・・と考えるまもなく、「アロー」という声が受話器から聞こえてくる。ハハン、アローだな。「アロー」と応える。が、あとは、ヘナモクチャ。何がなにやらさっぱり分からない。いきなり、「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ」と英語の数字を語る声。我がアパルトマンは5階で、このイムーブルは5階までしかないから、どうやら、階数を訊ねているようだと思いなし、「ファイブ」今度はよしゃいいものをフランス語で「サンク」と応えた。そして受話器を置いた。誰かが訪ねてくるのだろう、パジャマのままではまずい、せめてガウンでも羽織ろうとベッドルームに行きかけると、三度ブザー。猫は、三度目の、狂い走りをはじめる。ぼくは、もう何がなにやら分からぬまま、受話器を取り、アロー。さきほどと同じ男の声で、********。うーん、困った。からきし言語が不明だと、経験値そのものも重ねられないという論証になる光景を、自ら招いているわけだ。

 とにかく何か言語を発しなければならない。状況にふさわしい言語、しかも外国語を瞬時選び抜くほどの知力も器用さも持ち合わせていないぼくの口から飛び出たのは、「ジャスト・モメント・プリーズ」。すると、「インターホンを置くときに、ドアの鍵が開くようにしてください」と英語で応えてきた。やれやれ。やっと、対話交流のひとかけらができた。しばし待っていると、大きな箱を抱えてやってきたのは郵便屋さん。郵便受けに入らないから、ここまで持ってきた、あなたはフランス語ができないのに、ここで一人で生活しているのか、いい度胸だ、空き巣ねらいが多いから、気をつけなさいと、畳み掛けるように一人でしゃべって、「さよなら」と日本語で挨拶して、去っていった。猫の狂い走りは止み、興味深げに、英語の堪能な郵便屋さんの去っていったドアを見つめている。

昨今のセキュリティ完備の高級マンションにお住まいの方ならばこのブザーには何の違和感もないことだろうと思う。しかしぼくのようなウサギ小屋生活経験しか持たないもの、あるいは若い頃いそしんだ新聞配達での経験しか持たないものにとって、フランスのイムーブルに常備されているセキュリティにはなかなかなじめない。

 ぼくの住むアパルトマンのイムーブルには二つの番地が付けられている。その二つの番地を一つの総合玄関でまかなっている。総合玄関のドアを開けるには、深夜・早朝及び休日には鍵かコード番号が必要だ。それ以外の日・時間にはコードパネルの上部に付いているボタンを押すと施錠がはずされる。総合玄関を入ると、右左に分かれて、それぞれの番地の玄関が待ちかまえている。そしてそれを開けることができるのは鍵か、もしくは、各アパルトマンのインターホンでの応答によってである。玄関扉隣には入居者パネルがあるので、そのパネルを押すと、各アパルトマンに、件のけたたましいブザー音が轟き、来客を告げる仕組みになっている。パネルの下にはインターホンが備え付けられているので、声だけを聞いて撃退(つまり玄関扉を開けない)ことが可能なのだ。こうして二つ目の玄関を無事通り抜けた来客は、各アパルトマンの玄関ドアーに行き着き、ドア横に付けられているブザーを押し、来客の最終的なシグナルを告げることになる。これでいて、かの郵便屋さんがいうように「空き巣ねらいの被害が相次いでいる」というのだから、一体どんな度胸とどんな腕前を持ったドロボーさんなのか、お目にかかってみたいと思うのは、ぼくだけなのだろうか。日本では最新のセキュリティーも、フランスでは、歴史の浅いものではない証拠として、どこのイムーブルでも、原則的にはこのようになっている。

 それともう一つ、やはりこのような建物にはつきものの管理人さんの存在も、歴史を物語るものである。我がイムーブルの管理人さんはスペイン人で、フランス語の読み書きはできないそうだ。18歳でフランスに出てきて、管理人の仕事をしているという。イムーブルの管理人は非常に権威があり、来客に対して、拒否権を持つとのことである。もともとフランスのイムーブルは電気仕掛けではなく、人間の手によって、ドアが開けられたり閉じられたりしていた。その仕事をするのが管理人だったわけである。あらゆる訪問客の素性を看取ったり、荷物を一時預かったり等々、各戸のプライバシーの奥深くまで知り抜く存在である。フランスの文化の裾野を知り抜いた管理人という仕事の歴史は、おそらく、「もう一つのフランス史」を書くにふさわしいものだろう。日本でこのような存在はいたのだろうか。落語に出てくる長屋のご隠居などがそうだったのかもしれない。

 もっとも、昨今のように、ブザー音で猫も人間も驚く世の中になっていては、管理人も長屋のご隠居も、単なる出しゃばりとして嫌われる存在と化してしまっているのだろうけれど。