自由創造のエネルギー

 東京女高師・お茶の水女子大学50年代を記録する会編『私の女高師・私のお茶大ー1950年代学生運動のうねりの中でー』創英社、2004年)を読む。ぼくより一世代上の方々の、戦争の敗北で何もなくなったといわれていた戦後のしばらく、じつはなくなってなどはいない。あちこちに戦前そのものが巣くっている。その巣の中で戦後の新しい世界観に触れた乙女たちが、巣そのものの改革に立ち上がった回想記。
 ぼくなどは、その世代が創りあげた宝物に守られ、育てられたはすなのに・・・。当たり前のように存在していた自由。絶えずクラス討議がなされていた。その時の自由さを宝物だとは思わず、「かんけーねーよ、まーじゃんしよーぜ!」と声を掛けまくっていた。知的な活動などはまさに無為に過ごした。
 自由を行使すると退学か警察が待っているような時代が来るなどとは思いもしなかった学生生活。自由は自己を深め、新たな自己を創るはず、乙女たちはそうした自由を求めて立ち上がった。しかしぼくは、否少なくともぼくは、自由は自己を拡散するだけにしか求めなかった。これを失ったら自由ではなくなる、などという哲学は思いもつかなかった。だから、ぼくは、権力に従順であり得た。その権力が、すぐに、ぼくの自由を奪おうとした。そうした生活の後で待っていたのは、あらゆる自由の束縛。その時から、ぼくは恐る恐るながらの、アンチ権力を意識するようになる。
 乙女たちの今の声を聞こう。
 「平和憲法を変え、教育基本法を変えて、戦前の日本へ引き戻そうとする動きが現実のものになりそうな我が国の現状です。東京都の、国旗国歌問題に関連した処分、それに続く強制研修実施など、かつて教職に就いた者として心が痛みます。若い人たちに、この歴史の逆流を押し返す行動に立ち上がっていただきたい、1950年代私たちの世代が行動したように。」
 教育基本法は変えられた、国旗国歌問題は東京都だけの問題ではなくなった、強制研修はさらに教師自身の問題意識から遠のく権力支配的なハウ・ツー的なものになってきた。それでも、まだ、自由を謳歌しているというのだろうか。本当の自由を駆使しているのだろうか。
 教育の現場の問題で言えば、「教育実践」という概念と実態が放逐されている。つまり、子どもも教師も、また教材も、生活も、「検証可能でなければならない」という人格形成論を否定する教育臨床に取って代わられている。ますます人間を、自由と創造から遠ざけている現実を痛感するとき、藁をも縋るような思いで、先輩たちの足跡に思いを重ねる今日。