同窓会

 帰宅したら津高等学校同窓会より2通の封書が来ていた。一通は明らかに同窓会名簿の登録に関わって、後一通は内容が不明だが、津高等学校東京同窓会とある。ぼくには不要な案内だといつものごとく判断し、開封することなくゴミ箱に投げ込んだ。
 数時間後、ぼくは、ゴミ箱から東京同窓会の封書を拾い出し、開封に及んだ。同窓会など日本独特の閉鎖的共同体及び立身出世報告団体でしかないと思っていたから興味がわくはずもない。高校生活の思いではあるが、それが「同窓」などという感傷にもつながりはしない。
 しかし、セガンが少年期を過ごしたオーセールのコレージュ調査に赴いたときのことをふと思い起こした。ぴったりと閉ざされた門扉の向こうに、記念碑の文字が見えた「百年を記念する」とある。その主催者がこのコレージュの「同窓会」だったのだ。同窓会など日本独自のものでしかないと思い込んでいたぼくの認識を改めてくれた出来事である。それ以来、ネット検索で、関係学校の「同窓会」を意識して調査。それによって、学校の性格や在校生の社会的地位などを推測することが可能となり、セガンの生育史などがくっきりと浮かび上がってきた。「同窓会も捨てたものじゃないなぁ。ただし、研究のためだけだけど。」
 では、津高東京同窓会なるものは、いったい何をぼくに通知してきたのか。5月中旬に東京同窓会年次総会を行うという案内だった。まったく参加意志は持たないので、そのまま再びゴミ箱へ・・・。ん?かつて時と場所を共有した人の名前があるぞ?同一人物か?どれどれ・・。
 一人は「恩師」も参加される、という案内の中に拝見したお名前。生物の先生で、ぼくはその先生の試験は毎回毎回同じ点だった。上位何名かを点数共々口頭で発表される。3学期の試験を終えた時、「ガマはいつも46点だけど、そうなるように計算しているのかね。」と添え言葉があった。カーッとなった瞬間が強く思い起こされる。
 もう一人の名前は、特別講演の講師。卒業後、我が家のお隣の紹介で東京練馬区の個人宅に賄い付きで下宿させていただいた。玄関を入ったすぐ右手の4畳半の部屋だった。このときに同じく下宿人だったのが特別講演の講師である。故郷に手紙を書く時、封書の差出人のところに二人の名前を揃えた。東京大学理科I類志望○○△△、東京大学文科I類志望川口幸宏、というように。そろって同じ予備校、駿台高等予備校。最初の学力試験では、二人とも、志望大学合格間違いなし、と折り紙付きであったので、このような裏書きをしたわけである。それはまた、離れて暮らす親元を安心させる方法であった。
 特別講演講師氏は東京など人間が住むところではないと言い、北海道大学に進学した。ぼくは東京でしか豊かに遊べないと人生の夢を見た。
 特別講演は末期がんの新薬の発見にまつわることが論題となっている。大きな社会使命を果たしつつあるかつての同居人に会ってみたいような気もしたが、ほかの人々に会うことの嫌悪感には勝てなかった。三度、ゴミ箱へと。