日本生活教育連盟60周年記念集会

 現在ぼくが所属している唯一の民間教育研究団体・日本生活教育連盟結成60周年を記念しての集会(第2回)が、来る4月18日(日)13時から18時まで和光小学校の会場にして開催される。模擬授業、子育て講座、シンポジウムを内容としていると案内にあった。参加費は教職員が2000円、父母・学生・退職者が1000円だそうだ。会員としての特権は記されていない。ぼく自身は熊本研究調査旅行と重なっているために参加できない。研究集会の詳細はhttp://nisseiren.jp
 日本生活教育連盟のような研究団体を、民間教育研究団体と特徴付ける。主体は教員で、自らの教育実践・研究課題に従って参加する。アメリカやフランスを研究している我が身とすれば、彼我の比較をどうしてもしてしまう。
 たとえばアメリカで言えば、ぼくの研究課題ホール・ランゲージ研究集団は当然あり、地域ごとに自主的に誕生した研究集団がある。日々実践を交流し合い、時々は他地域に出かけて広範な実践交流を行う。アリゾナ州ツーソンのホール・ランゲージ・グループ、マサチューセッツ州アマーストのホール・ランゲージ・グループの「月例会」にそれぞれ数度参加させていただいた。各研究集団はホール・ランゲージ・アンブレラに属する。アンブレラは年次研究大会を持つ。ミズリー州で行われた研究大会で日本の生活綴り方を紹介した。「何が恥ずかしいかというと妻の前で話すことだ」というプレゼンテーションの始めのことばは、ずいぶんと「受け」がよかったことを思い出す。
 いずこの国も同じなのだろうか。教育行政が必ずしも自分の教える子どもたちにとって充分に意味があるとは限らない場合、当然目の前の子どもに責任を持つことが職能である教師たちは、教育行政批判をし教育実践を創造する。これに対して、しばしば「アカ」のレッテルが貼られる。
 研究会の席では「子どもにとってホール・ランゲージのやり方がベストであることを、どのようにして認めさせようか」というストラテジー会議にもなる。実践を常に啓くこと、子どもに「学力」をつけること(基準テストの「学力」であり、「進学校学力」ではない)、ホール・ランゲージの実践は職人芸ではなく誰にでもできるものであること、というような内容が語られていた。
 アメリカの公立学校教師は契約で雇用されている。この契約の際に「ホール・ランゲージの方法でこれこれの学力をつける」というように、かなり具体的な契約条件を出す。だから、ホール・ランゲージは「アカ」だから雇用しない、ということにはつながらない。そればかりか、ホール・ランゲージの研究会に出て教育を学ぶことは、契約条件をクリアし、スキル・アップにつながっている。
 このことはフランスにおいてもほとんど変わらない。
 このように見ていくと、同じ自主的な教育研究であっても彼我の違いはあまりにも大きいことが分かる。行政の「枠組みを出ること」は一切認められないがごとき下で営まれている我が国の民間教育研究は、「治安維持法」嫌疑を掛けられた戦前と少しも変わることがない。しかし、生み出される教育実践の質と量は、彼我少しも遜色がない。「恐れるものがない」ということは、たくましく強く前進的で創造的な力を生み出すものなのだ。法的に付与されている教師の「研修権」を実質的に奪っている、あるいは縛っている現状は打破されなければならないと、強く思う。
 結成60周年記念のエネルギーはこれまでと今とこれからをつなぐもの。当日ぼくは、「これまで」のエネルギーの源を探りに行く。