ナナフシ賛歌

 我が家の鉢植えの木の葉の上で、2センチほどの長さの針金細工様の物体がふわりと動いた。あ、ナナフシだ!

 まだアカチャン。細君が眼を細めて鑑賞している。昆虫類は大の苦手のはずだが、カマキリとナナフシにはこよなく愛情を注ぐお方である。
 ぼくのナナフシとの「出会い」は、今から約55年ほど前、小学生高学年の時である。母親は大の漫画文化嫌悪者だが、例外的に、学習雑誌に掲載されるそれは黙認していた。科学漫画が連載されていたのだろうか、ある号でナナフシがテーマとされていた。農作業中、日陰を作る木の枝に土瓶を掛けたところ、土瓶が落ちて割れてしまった、枝だと思ったのはナナフシだった、という内容であった。漫画を通じて、生態のうちの擬態を教えようとしたのだろうか。
 それ以来、農作業中、雑木や雑草の中にナナフシがいないものかと観察をしたが、とうとう「発見」できないままに、農作業に関わる生活はなくなってしまった。
 大都会東京、関東文化圏に人生の基盤を置くようになってから、ほんの時折、そう一年に一回ほどもなく、雑木林、竹藪、雑草群などをじっくりとのぞき込むことはあっても、ナナフシにお目にかかることはなかった。
 ところが、上の娘が小学校低学年の時のことだから、25年ほど前のこと、我が家の垣根に巡らせているアケビの木枝をのぞき込んでいたが、5センチほどの細枝が揺れていた。風も吹いていないしそれだけが揺れているので、ぼくの息がかかって揺れているのかと思って息を止めたが、やはり揺れ続けていた。
 えっ! ナナフシ?!?!?!
 さっそく、細君、二人の娘に声を掛けて、ナナフシ観察。そして、その頃ぼくが発行していた手書き家族新聞(「アヒルのいないおうち」)にナナフシ観察記録が登場し、我が家では、人間の手に一切かからず住み着く愛すべき生き物の地位を占めるようになった(ほかには巣から吐き出すように出てくる幼虫カマキリ)。
 しかし、数年後、同居を始めた母親が、彼女が育てる植物を守るために、消毒薬を噴霧する行為を盛んにした。ちょっと留守にして帰ってきたかと思えば、新しい草花が庭の隅に植えられている、「それどうしたん?」と訊ねると、「○○でもろてきた・・」という返事。○○にはたいてい外国名が入る。つまり、日本以外の国に出かけた折、自生しているあるいは植えられている植物を、「もろてきた」(黙っていただいた、という意味)わけだ。もちろん入国の際には鞄の奥に密かに隠して。「ちょっともろただけやし、だれでもそうしとるし、わからんかったらええやんか」。そうした不法行為は許せるものではない。そして、全くの自然主義を貫いているぼく、生物と人間との共生をテーマに環境問題に関心を強く持つ細君にとってすれば、消毒の名に借りた毒薬散布行為は、はらわたが煮えくりかえるほどであった。ぼくは怒鳴り散らし母を叱責する、細君はずっと押し黙ったまま。しかし、母のそういう行為は一切やむことはなかった。
 その母が亡くなって数年。ナナフシを最後に見てから20年。ぼくたち家族の目を楽しませてくれる時が再び訪れた。ナナフシは、植食性でおとなしい昆虫。ナナフシのためにも、雑草は生やしたままでおきたいものだ。