古い建物の図面

 2003年のちょうど今頃、「エドゥアール・オネジム・セガンが働いていたビセートル院に行きたいのです。」と願われた。「ビセートル院と言われますと?」「病院です。パリにあります。」セガンに関わる史料調査を始めるきっかけになった某氏との会話である。
 その年の7月末から8月頭に掛けて某氏をリーダーとするセガン関係の旅が行われることになっていた。某氏は、「ビセートル院に行って、セガンが働いていた場に立ちたい、セガンが使っていたディスクは保存されているでしょうから、可能ことならそのディスクに向かって座りたい、なんといっても、世界で初めて白痴教育を成功させた人ですからね、フランス政府は保存の義務があるでしょう、遺品もあるでしょう。」と、願いを強く出された。「ビセートル」は17世紀以来、もともと宮城であったのを、監獄や病院等に利用してきた一大施設である。名前も、ビセートル城、ビセートル施療院、ビセートル救済院、男子養老院、ビセートル病院等、変転している。そういう輝かしい歴史を持っているから、某氏の願いはさほど難しいことではないのかもしれない、と、ペーパー上だけで調査を進めるうちには思われた。
 しかし、その願いは叶わなかった。現在のビセートル病院に立ち、その広大さに圧倒されはしたが、某氏の願いとなるもの物的痕跡は何も残されていなかった。聞くところによると、現在の病院施設は1930年代に建て直されたとのこと。そしてそれは1890年代に建てられたものの全面改築であったということであった。某氏が願う「セガンが働いたビセートル院」つまり、「男子養老院」(の子ども部局)の当時の建物は1840年代であるから、もう2度も建て替えが為されてしまっているわけである。1890年代に建築されたビセートル病院の平面図はフランスの教育学者の博士論文の中に引用されている。(それには「セガン・パビリオン」と名付けられた小児病棟がある。しかし、現在の建物からはその名が消えており、セガンをフランス社会に復権させるに力のあったブルヌビル博士の名前が登場している。)
 結局、セガンが働いた当時の「ビセートル救済院」つまりブルヌヴィルによって改築される以前の「ビセートル救済院」「男子養老院」の面影を知ることもなく、6年の歳月が過ぎてしまっていた。しかし心に引っかかり続けていた研究課題の一つである。・・・

 今日入手し確認した「セガンの時代」のビセートル救済院小児病棟平面図。しかし、セガンが1843年末に馘首されて以降であることは但し書きをしておかなければならない。
 昨年9月ビセートル病院を訪問した時大改築が為されている途中だった。ブルヌヴィル棟には工事幕が掛けられその姿を拝むことができなかった。歴史はどんどん作り替えられていく。