熊本に入る

 ホテルからネットに繋ぐことができた。パソ貸し出し1000円とあったが自前のノートで間に合わせる。
 まるで小学校の遠足の前の夜みたいに眠れず。興奮してとかそういう理由ならばかわいいのだが、とにかく不眠。午前4時までドタリバタリ、7時に起床。
 熊本行きの飛行機はほぼ満員。窓際の席があてがわれた。左隣は品のいいおばあさま、前はアルカポネの姉御風、その隣の男はそうとうおっかない風。左隣と前、そして後ろは振り返らなかったのでどんな風なのだか知らないけれど、とにかく臭い。香水の不協和音に2時間近く攻め続けられた。こういうことだから窓際の席は嫌なのだ。行動の自由が完全に奪われてしまう。
 せめて窓外の景色を楽しもう。真っ白にほぼ全身を染めた端正な富士山はカメラに収め損ねたけれど、中央アルプスの尾根に敷かれた雪絨毯を堪能。ヘリコプターから身を乗り出して撮ったのではなく、飛行機の窓越しで撮ったことの証明。座席はちょうど、昔で言うと、プロペラあたり。いとおかし。

 香水攻撃からやッと逃れてリムジンバス乗り場に並ぶが長蛇の列。またまた違う匂いの香水が前から後ろから。何だって今日みたいな不快指数の高くなるような日に、どぎつい匂いをさせているんだか。匂いの元の連れが「タクシーで行くぞ!」と気っぷよく叫ぶこと3度。やったね、香水攻撃から逃れることができた。そのかわり、お天道様のギラギラテカテカチカチカをたっぷりといただいた、喜んで。
 熊本市内は路面電車が走ります。

 どうです?侘びしい感じが出てますか?
 ・・・んっと、だってねぇ。

 夜は熊本大学の仲田陽一先生のご案内で場を設定していただき、飲みながら戦後教育実践史に関わる方法論、課題、意義、具体等の談話会に参加させていただく。かつてー30年以上前ー「教育実践史」などという概念を教育学研究の方法論として提出したことがある手前、この談話会は無関心であるわけにはいかなかった。教育行政と相対的に自立し、日々の教育を創造的、発展的に開拓し、推進する専門職としての教師の活動を教育実践と定義し、それを歴史的に捉えることを研究の内容とする。このような教育実践そのものが無形化し、あまつさえ概念そのものが意識的に使われなくなってきている現在、教育学は何をすべきかという自問の末に出てきたのが戦後教育実践史研究。ぼくは談話会のメンバーではないけれど、ぼく自身が青年期以来こだわってきている教育学である以上、談話会と無関係である、というわけにはいかないだろう。
 それにしても仲田さんとはどれほどお会いしていないことか。「学閥」が異なる彼とぼくが「教育運動史研究会」の事務局を共に担ったのが、そもそもの出会い。研究会の活動で共に調査に歩いたこともある。実質的にはそれ以来の再会と言うことになるのだろう。同じ世代で同じ研究をしていた仲間たちがそれぞれにまったく違った道に進んでいる現状を、重く受け止めざるを得ないことを、二人で嘆いた。「彼らには、いつしか、仲間、という意識はまるでなくなっている、」と。
 明日は戦後初期の組織的教育実践を担った教師からの聞き取り。