戦後初期教育実践を聞き取る

 戦後教育実践史研究会のメンバーの駕籠にただ乗りをさせていただいた一日。あれこれと綴りたいとはやる心があるけれど、その中で一つだけ。
 熊本大学附属中学校で新教育プランを実践した一人の後藤先生の足跡から印象的なこと。じつに丹念に実践記録を綴っておられ、それがまた達筆。我が母の実践記録は教材研究も収支も何もかも綴じ込まれているが、母の足跡からも日本の教師の「実践を記録化する」という習癖のようなものを感じる。おそらく戦前の師範教育の成果だろう。今はそのような教育はほとんどしていない。機会と形式とを与えてもきちんと利活用されていないというのが実情である。
 後藤先生の足跡から感じた第2は学級文集である。次は創刊号の表示。

 本文ページは黒ガリ版刷りで出発するが、中学3年生の時になると日本語タイプライター印刷。編集は学級の中の「報道係」、印刷は業者に依頼した、ことが読み取れる、文集に収められている各種文章は「報道係」が締め切りを設けて原稿を募集する。つまり、教師の手によって選別された美文集、記念集ではないのだ。まさしく新教育の姿そのものが残されている。
 丹念に読む時間はなかったが、面白い記事を発見。「先生のくせ」という埋め草記事の中で、「君ぃ、しっかりと考えなさい、しっかりと、君ぃ」というのがあった。かの丸木政臣先生のくせの語りなのだ。

 他の先生へ方の聞き取りも含めて、多くの関係資料を提示していただいたが、その中の『熊本教育』第176号、1962年9月号に強い興味を持った。夏期合宿集会レポート特集に、日本作文の会、教育科学研究会、日本生活教育連盟、全国青年教師連絡協議会、母親大会の団体名を見ることができる。とりわけ日生連と全青教については、すべてを起こして、関係する人たちに閲覧してもらいたいと思う。ぼくにとっては幻のと言っていい、山中湖集会、「4者共催研究集会」である。レポートは詳細を尽くしており、臨場感がある。レポートの一部を紹介しておこう。

 夕食時には、この合宿集会特有の自由な雰囲気のレセプションが開かれ、梅根、広岡、川合等の学者連、樋口、春田の校長さん、民研の海老原さんをはじめとする全国から集った現場実践家の紹介の中で会員の親睦交換が、キャンプファイヤの炎と共に、夏の一ときが過ごされた。
 八時より、日生連と全青教の総会が開かれ、全青教は一九五四年社会科改訂問題の折、民間団体の青年教師を繋ぐものとし日生連より独立して以来、阿蘇集会等で熊本にもなじみであったが、民教協の結成等により、再び日本生活教育連盟として十二月の総会から統合することが決定され、新しい組織の中で「生活教育」をおしすゝめるという組織面の強化は本集会の特筆すべき一つである。(徳永恒一(熊本竜南中)「日生連夏期合宿集会報告ー社会科を中心にしてー」『熊本教育』第176号、1962年9月号、16−17ページ)