パリ、ピガール通り 続

 ピガール通りの現況。セガンが学校を開いた6番(現在は8番)辺りから、モンマルトル方面を望遠で撮す。サクレクールが巨大に映る。もっとも、サクレクールは1871年パリ・コミューン後にフランス国民議会の決定によって建てられたものであるから、セガンの時代にはない。

 よく見るとHOTELの文字がいくつもある。フランス語のHOTELとは公共建築をも意味するが(例えば、HOTEL DE VILLE は市役所、という風に)、この写真では、文字通りホテルである。日本風にこの土地柄を解釈すれば、歓楽街の中のホテル群であるから、通常の旅の宿とは異なるのだろう(利用したことがないのでわかりません)。
  セガンの時代もこんな風だったのか、そんなことが気になる。ホテルは写真左側つまり奇数番地側に集中しているのも、意味があるのか。モンマルトル風俗事典、パリの通りの歴史事典などを参照にしながら、ただいま解析中・・・。

 日本の旅行業者の中には、格安チケットでこうしたホテルを組み合わせているところが少なくないとか。お奨めできませんね。
客「お友達とパリに行きたいんです。お勧めのプランはありますか?」
店「パリのどんなところがご希望ですか?ご希望とご予算にあわせて、プランをお作りします。」
客「私たち学生だから、余りお金がかからないのがいいです。それとフランスらしい教会のあるところとか、芸術っぽいところとか。」
店「絵とか写真とかをなさるのですね。いいですね―。それならモンマルトルをお勧めしますよ。パリが一望できますし、白亜のサクレクールは人気のメッカ。広場では芸術家達が作品を書いています。かのゴッホが弟と一緒に生活したアパートもそのまま残ってます。ホテルはピガール通りというところのがお安いですね。モンマルトルまで歩いて行けます。ホテルの写真をごらんになりますか?」
客「わー、ゴッホだって、いいな―。」
 こんな案配で、旅の宿が決まるのだろう。