コンドルセ立像

 セーヌ川岸学士院横に、コンドルセ像が立っている。

 コンドルセは、学生時代、公教育原理を構築した人として教わったきりであった。2000年度のパリ生活の中でコンドルセ立像を「発見」。たちまち、古くさい記憶から引っ張り出したのは言うに及ばず、せっかくの機会だからと、コンドルセの著書を購入した。
 といっても、やがてなじみになる古書店で、「ここにコンドルセ(の著書)はあるか」という問いかけだけ。親父さんはしきりに首をかしげる。発音が通じないのだ。魔のr音が含まれるスペルCondorcetだから、ぼくのコ・ン・ド・ル・セでは通じるはずもない。しばらくのやりとりの後、ひげもじゃのおやじさんがVIE DE MONSIEUR TURGOT.と題された書物を書棚から出して見せてくれた。おやじさんは、これはコンドルセの作品で、初版本です、という。学生時代にレクチャーを受けただけのぼくには、ただただ古い本だということしか分からない。目次もない、たらたらたらたら250数ページも文が続く、著者名も書かれていない。

 いぶかっているぼくを手招きし、おやじさんは、古書全集(目録)のCondorcetの項目を開いて、該当書名を指さしした。フランス語会話はだめだが字は読めると思ってくれたのだ(当たり前のことですがね、本屋に本を買いに行ったわけですから。でも、ぼくにはとてもうれしい出来事でした。)。パリ生活への不安(到達がまるで見えないことから来る)の日常であったので、書を求めた。ぼくが外国図書の古書を初めて買った記念のものである。
 コンドルセについてはWikipediaでもかなり詳しく紹介されている。日本版によると「ドーフィネ(Dauphiné)のコンドルセ侯爵領の領主であることから、日本では「コンドルセ」と略称されている。」とあるが、なに、そんなことはない。上のエピソードでも分かるし、彼が国民議会で報告した公教育計画(1792年)、岩波文庫版で翻訳版を読むことができる、そしてかれの遺著、人間精神の発展・・・等々、フランスで発行されているかれの著書の著者名はすべてCondorcetである。
 コンドルセは恐怖政治に反対したため逮捕令状が出された。コンドルセはパリ6区セルバンドニ(SERVANDONI)通りにあったヴェルネ夫人宅で9ヶ月匿われたが、無念にも逮捕された。そして獄中で自殺した。匿われていた時に遺著を書いている。
 ルソーの「直接民主主義論」に反対をし、ルソーの「自由意志」「普遍意志」論に反対し、「間接民主主義」を「理性」に依拠させようと論じたコンドルセこそ、ルソーより遙かに学ばれるべきだろうと、ぼくは思う。コンドルセが匿われていたヴェルネ夫人宅の道路を挟んで斜めのところに、かのオランプ・ド・グージュの居住跡がある。
 今回のパリ生活で、是非、もう一度確かめたい。
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http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/kichi.htm