学園裏散歩

 やけに構内が静かだと思ったら、今日は開院記念日。国民・国家の休日に授業をすることはあっても、この日は休講♪
 ならば、日常出かけることもない我が学園の歴史を忍ばせてくれるキャンパスの奥へと散策を試みる。正門を手前にした地図で言うと右上辺りとなる。実は、こういう言い方は、我が教職課程では禁句なのだが。
 キャンパスはただいま工事の真っ盛り。工事現場の上部だけを撮した。

 西1校舎。古い時代の学的権威を偲ばせてくれる。ぼくが気に入っている校舎の一つである。

 校舎に沿って奥のブッシュへと進む。ブッシュに出て左手に、史跡のいくつかがある。その一つ、 榊壇・榊壇碑・国境採取石塊碑。
 榊壇は明治天皇学習院への行幸を記念して、乃木希典院長が私費で築造したもの。中央に立っているのが天覧榊、周囲には当時の国境から集められた80個の石で前方後円墳型に築かれている・・・そうな。このすぐ側に乃木記念館がある。榊壇からは背側面を見る。

 我が学園は高台にある。江戸時代、この高台を富士見台と呼び、人々は眼下に絶景を楽しんだ。その一人、松尾芭蕉。句碑がある。

 目にかゝる時や殊更五月富士
 おー、今の季節なのか。・・・慌てなさるな、旧暦だからまだ先のこと。この富士見台には茶屋があったそう。初代歌川広重の「富士三十六景」の一つ「雑司ヶ谷不二見茶屋」はここから描いたものと言われていると、案内にあった。今は富士など見えやせぬ。茂った立木の間から、コンクリートの壁が覗く。眺望を害しているのはそちらの方なのだけどなぁ。
 雑木の間を縫って歩く。落ち葉の絨毯という表現があるが、まさにそれ。木漏れ日が情感を誘う。木漏れ日に隠れるようにいたカラスに一言ご挨拶、「昔ね、君の仲間に、西門手前で頭を蹴飛ばされたの。痛かったよ―。」

 血洗の池方面を抜けて学生サークル棟の下に出る。あらゆる感慨がすっ飛んでしまった光景に出会う。

 「ポイ捨て厳禁」と書かれた紙そのものがポイ捨てされている。
 川柳を詠む。塵芥ブンブブンブのなれの果て
 芭蕉句を擬して。目にかゝる処や殊更塵芥
 文学部と北一号館との間の中庭に、雑草が群生していた。「ポイ捨て厳禁」と比べてなんと清らかなことよ。

 200ミリレンズを使用した。満足がいく画像には撮せなかった。