眠りから覚めなくっちゃ

 8月が終わり9月に入ると、ぼくが会場世話係を請け負っている研究会が再開される。一つは日本生活教育連盟の「ことばと教育」の会、あとひとつは教育科学研究会の「ことばと教育の学集会」。前者は9月11日金曜日後、午後6時から。レポーターではないのでゆっくりとお話を聞くことができる。スイミー、など。後者は9月27日日曜日午後3時から。竹内常一先生の『読むことの教育 高瀬舟、少年の日の思い出』(山吹書店)を読む会。会の世話人をしていただいている志摩陽伍先生から会場確認の連絡が入ると共に、第1回レポーターを打診されたが、曖昧に聞き流した。まだ本を手に取る前だったので何ともお応えできなかったが、今手元にある。やはり、時間をいただきたいと思う。
 セガン研究も、これまでしてきたことの整理ばかりをしていて、先に進もうとしない。難渋な原典が進む気力を妨害している。フランス語入力、そして訳文。この二重作業は、ぼくの力から言って欠くことができない学習活動。それがイヤなのだったら、研究をやめるしかないな。かといって他に道は無し。
 久しぶりに学生の訪問。介護等体験が知的障害者の作業所であったことから、多くの戸惑いがあったようだ。そして社会矛盾も強く感じてきたようである。セガンを介在してしばらく彼と「現実」について語り合う。進路は、研究者ではなく教師へと、強く心を傾けているようだ。いい教師になるという確信はあるが、研究者として生きていく姿も見てみたい君である。