「聞き分け」がでけへん

 昨日の清水寛先生の出版記念講演会、150人ほどの参加者で、盛会でした。ぼくをお誘い下さったK先生と並んで座りました。
 皆さん、熱心に、聞き耳を立てておられ、時には賑やかな笑いが起こりました。けど、ぼくは拍手一つ、送ることができへんかった。「聞き分け」がでけへんのや。
 「聞き分けのない子やなぁ」と口酢ぽう言われたあの頃の「聞き分け」ちゅうのは「大人の決めた論理に従順であること」やったんやけど、生理学的な意味での「聞き分け」ができたから、「いやや、ぼく、そんなんやのうて、こんなんや」と抵抗したんやったけど、それは「聞き分け」ができないことや、と大人に言われたわけやな。
 せやけど、昨日は、清水先生の声がマイクを通じて会場に発せられる、会場の一隅で補聴器を、時には両耳に挟んで「聞き耳」をたててたんやけど、あかん、音は耳に突き刺さるほどに飛び込んでくるけど、アなんかイなんか、ウなんか、さっぱりわからへん。「聞き分け」ができへんやったんや。
 ここまでひどいのは初めてや。さみしいなぁ。
 そんでもこりんと、最後までおって、発言までした!!「聴覚障害故、どのようなことが話されたのか、私には分かりません。けれど、雰囲気として感じたのは、清水先生のお仕事がこれで完成、終止符を打たれたと思っておられる人が多いな、ということでした。今日からこそが出発です。人類の宝物の近藤益雄を100年先、200年先まで、伝えていくために、近藤益雄研究を出発させてほしい」というようなこと。えらそーやな―、ほんま、嫌なヤツや、オレ。
 懇親会にも押しかけた。2003年にルソー・セガン・平和への旅の仲間たちが多くおられたので、ついつい懐かしくなった。こういう出会いは、うれしいなぁ。2012年に向けて、具体的に、進めていきましょう、という話が出されましたんやに。
 そうそう、休憩時間に、懐かしい懐かしい顔を見た。お嬢さんを連れておられた。お元気そうで何よりです。