もうこれで行く!ーあとがき

あとがき

 障害教育学関係の書籍には必ずと言っていいほど、オネジム=エドゥアール・セガンの名と業績とが記述されている。さらに詳しい記述では生育史に及んでいる。
 私が各種のセガンに関する記述に大きな違和感を覚えたのが、主に、生育史に関してであった。とりわけ、ジャン・ジャック・ルソー『エミール』の影響がセガンの生育にとって確定的であるかのような記述に、その感を強くした。確かに教育学の世界では『エミール』は「子ども発見の書」として理解され、発達論的な教育観が今日まで語り伝えられている。だがその一方で、『エミール』に描かれている養育方法によれば、女性は必然的に社会参加が妨げられてしまうことになる。事実、フランス革命期のロベスピエールや帝政期のナポレオンⅠ世が『エミール』を強く支持し、前者が三人の女性をギロチン台に送ったし、後者が近代家族制度を確立している。いずれも「女性よ、家庭に入れ、社会や政治に口を出すな」という社会建設を標榜する。この限りで言えば、この女性像は近世から後退したものでさえある。こうした両面の『エミール』観を以てセガンの生育を意味づけることこそ、歴史対象としてのセガン研究であろう。
 二〇〇四年一一月のオーセール、二〇〇五年三月のクラムシーでのフィールドワークが、私をセガン研究に向かわせる本格的な第一歩となった。オーセールではセガンが在籍したコレージュを探り当て写真に収め、クラムシーでは父系を主としたセガン生育史に関わる公文書等の閲覧をすることができた。父方家系ばかりではなく母系を描くことに腐心したが、これも二〇〇九年初夏の調査によって、ようやく判明した。これらの作業で、セガンの生育史において『エミール』は直接要因にはなり得ない、という結論を得ることができた。そして、セガンの生育は父系で語るのではなく母系で語る必要があるのではないか、とさえ思われるようになった。
さらに、二〇〇五年八月のパリでのフィールドワークをきっかけとして、フランスにおける一九世紀の医療・福祉史とりわけその施設史や、社会運動史の調査機会と出会うことができた。そのことによって、セガンのイディオ教育に関する公文書や社会運動史資料などの閲覧に恵まれるようになった。公文書のいくつかには、イディオ教育実践の場を提供してもらいたい、と関係当局に度重ねて請願する、非常に意欲的な青年セガン像が垣間見られた。また、資料からは社会変革に勇猛果敢に挑戦する青年セガン像を見ることもできた。こうしたダイナミズムがあればこそ、セガンのイディオ教育が今日まで語り継がれるところとなったのだと、感慨深いものがある。
 こうして、フランス時代のオネジム=エドゥアール・セガン個人の生き方を解明したばかりではなく、主として社会運動としてのイディオ教育の開拓史を描くことができたと自負している。
 本研究にフィールドワークを欠くことができなかったが、いくら校務の間を縫ってしたこととは言え、職場の寛大さを得ることができたからのことである。また、出版不況の時節柄にもかかわらず、本書出版を叶えて下さった畏友清水寛氏ならびに新日本出版社と、編集作業の労を執って下さった書籍編集部角田真己氏とに、心から感謝する次第である。また、清水寛氏には二〇〇三年夏のクラムシー訪問以来今日に至るまでセガン研究のよき交流を結んでいただいた。そして、研究過程を支えてくれた友人たち、とりわけ、調査のための機関折衝や通訳の任を務めてくれたパリ第五大学大学院博士課程在学中の瓦林亜希子氏に、厚く御礼申し上げる。