パリ・コミューン広報紙 実物写真 世俗教育(無宗教教育)広報

 パリ・コミューンの広報紙の再編集版のコピーがあるおかげで、研究が進められてきた。日本の第一人者である牧柾名先生もこのコピー版を用いておられた。そして、身近なところでは、「パリに行ってパリ・コミューンの新聞を買ってきた。日刊紙で、A4判で100号ある。」と仲間に胸を張って語り、かつ仲間の機関紙にそのことを記事にされたO先生という方がおられる。パリ・コミューンは100日には遠く及ばない短い期間の歴史事象であるので、O先生が公言された「100号」というのは嘘っぱちである。O先生は先のコピー版(製本されており3分冊になっているのが現在流通している)のことを指して言われたようである。
 パリ・コミューン展に出かけると、広報紙の実物展示にお目にかかることができる。コピー版とはまったく判型も段組も異なっている。
 次がパリ・コミューン広報紙の1971年4月22日号。実物写真である。

 この号に「10区区役所」という見出し記事がある。それは、パリ・コミューンかで初めて実現した世俗学校についてである。パリ10区フォブール・サン=マルタン157番の男児学校だ。なんとそこは、セガンが白痴の教師として雇用された男子不治者救済院の隣地と言っていいほどの所ではないか!
 今度の旅の楽しみ一つになりそうだ。