読まれ方は自由であるにしても

 拙著『知的障害教育の開拓者セガンー孤立から社会化への探究』(新日本出版社)を送付申し上げたことに対する落手挨拶に多いのが、「障害児教育の専門家ではないので(内言は「読みません」)」「自身の障害児教育の実践に活用させていただきます」というのが多い。これらの返信は書名から判断されたものだろう。いくら帯に「(「知的障害教育の開拓者」)セガンの知られざる半生」と打ち出しているとしても、上記の人たちは「知的障害教育」がメインテーマだと思っておられるのだろう。ご期待に反して申し訳ありません、としかいいようがない。
 次のような感想メールが、拙著の意図(本質)を言い当てている。ありがたいこと。

昨日29日、「知的障害教育に開拓者セガン」が届きまし た。今日にかけて90頁読み進みました。当時のフランスの社会情勢、教育状況を描きながら、実地調査の成果をもとにセガンの歩みを記述されていることが分 かります。あとの140頁を、またじっくりと読み進めていきたいと思います。ありがとうございました。
4月3日、「知的障害教育の開拓者セガン」を読み終えました。第三章 に入って、セガンの教育活動が描かれ始めます。ゲルサン、エスキロル、ラ・サルペトリエール救済院、『パリの秘密』などが出てくると、(川口がこの方に贈呈した私家版の記述内容などを)思い出しながら読むことができました。青年期のセガンは、サン=シモン主義の活動を進めながら、どのように生きていくか、どのような仕事をしていくかを考えていたことと思います。法律、芸術論あるいはサン=シモン活動そのものをしたかったかもしれません。病気、ゲルサンとの出会い等で知的障害教育に進むのですが、それがサン=シモン主義の具体的な実践に通じると感じることができたでしょう。何かに打ち込んでいると、それそのものではないが、周辺の関連事項に、自分がやるべきことを見つけることができた、ということだと思います。数年前まで朝日新聞に「自分に出会う」とい う連載がありました。ある仕事をした人物が、自分の過去を振り返って語ったことをまとめたものでした。新聞を読んでいて、「自分がやることを見つける、それが自分に出会う」ということなのか、と思っておりました。クラムシーのセガンがなぜ「知的障害教育の開拓者セガン」となったか、という川口先生の「セガンの成長、(自己)教育」「セガン自身の文明化」という視点があって、この本が生まれたように思います。セガンがフランスからアメリカに渡る、あるいは渡らざるを得なかった、という点、個人の仕事や思想が、国と対峙するなんて、なんともスケールの大きな人物だったことでしょう。感嘆してしまいます。

 メールの無断転載なので、この方の個人が特定されることのないよう注意を払った。そのためごく一部表現を改めている。
 この方のような読み方をしていただければ、ぼくはきわめて気が落ち着く。恐らくそれはかつて上梓した『私の中の囚人』(現、高文研)のセガン版だ、というぼくの思いと一致しているからだと思う。執筆動機は先行研究に描かれた「偉人セガン」あるいは「『エミール』に倣った育てられ方をし、『エミール』に倣った教育方法で白痴教育を開拓した」というステレオタイプ視に対する強い違和感を覚えたことにあるが、「人間セガン」を描くことには迫り得たのではないか、と思っている。