再会ならびに授業開始!

 昨日は清瀬。「特別活動研究」と「教育方法研究」の2コマ連続。「特別支援教育」に強い関心を持っている学生が多いとのこと。福祉科教育に新しい教育構想の日本社会事業大学。T先生のご活躍の成果。
 昼食を控え室で取っていたところ、ぼくの顔を覗き込むようにする方がおられた。きっとその先生のお席だったのだろうと思い、詫びを申し上げたところ、「川口さんですよね。」とのお尋ね。さて、お顔に見覚えが微かにあるような気がするが、とんとどなたか分からない。「申し訳ありません。お顔に見覚えはあるように思いますが、お名前は存じ上げません。どなたですか?」とお尋ねしたら、「H山です」とおっしゃる。東京教育大学の大学院博士課程に在学していた折りに、既知となった学部生だった方。なんと40年近く前に交流していた方だ。埼玉大学在職中に埼玉県下で講演を幾度かしたことがあったが、その時以来だと彼は言う、そうだとしたら20年余前のこととなる。控え室の事務員にふたりのかつての交友関係を、H氏は語っていた。そんなこともあったかなぁ、「学問にとても厳しい先輩だった。」と。再来週、再会を約して、お別れした。帰宅して妻にH山さんとの再会の話をしたところ、妻は「ほっそりした人だったよね。」と答える。教育学科図書室の事務補佐の仕事をしていた彼女の記憶の正確さに、感嘆した。
 さて授業。どんな学生がどれほど参加するのか、ドキドキしながら指定教室に入ると、学生たちが一斉に、席を前方に移動中であった。T先生よりぼくが聴覚障害であるので授業参加の協力を要請してくれていた。来週からは、大学の計らいで、学生の発言を要約筆記して下さる補助が付くという。パソコン入力だというので、「それならば、学生の発言を全員で確認できるように、スクリーンに映してくれませんか?」という要請をした。オーケーだとのこと。我が大学では考えられない授業支援システムである。学生参加は22名、両講義とも同一であるという。だとすれば、二コマ連続で授業計画を立てることができる。学生にはその旨を伝えた。
 「高校生活で教科以外の活動で強く印象を持っているものをペーパーに書いて下さい」
 提出されたものを読み上げながら、時折、出身地・校などを訊ねる。誕生日と血液型がぼくと同じのがいたのでその旨を伝えると、教室が沸いた。「じゃ、誕生会をやろうか」「おー」「待てよ、後期はぼくは来ないぞ」「何だ」・・一年ぶりの授業なので非常に緊張していたが、口はけっこうなめらか。ぼくが読み上げた学生の印象記から「学校行事」「遠足」「部活動」「修学旅行」「文化祭」「体育祭」「ボランティア」「奉仕活動」等々のキーワードを拾い上げ、あらかじめお願いしていた学生に板書をしてもらう。来週以降の実践的な課題に予定している「ホームルーム」を挙げた学生は一人もいなかった。それぞれの青春時代の印象を全員で共有することができるこの活動を「隣の人も教材である」という言葉で結び、次の「教育方法研究」へと内容を引き継いだ。
 「隣の人も教材」ということから、どのような教育方法が想起できるか?宗教説教のような教師の講義・講演形式では「隣の人も教材」は成立し得ない・・・。1.説教(講義)、2.模倣、3.教授、4,教授・学習、5.学習。こうした教育方法形態を挙げ、それぞれの特徴を考えさせた。意見交換はしていない。「なぜ教壇があるのか」「何故椅子が固定で並んでいるのか」「何故教卓があるのか。その位置」等々を挙げ、それらによってできあがる教育方法形態は「学習」から遠のくことを示唆した。つまり「隣の人は教材からは遠のくことを考えてもらった。
 来週は「特別活動」実習の一つ「お花見」を企画した。学生たちが「お花見」という実践形態を「特別活動」としてどう位置づけるか、楽しみである。
 ある男子学生の授業参加記。
「先生っぽくない。
 元気。
 まだまだ子供なので、エラそうなことを書かせていただきます。
 毎週のこの時間は、川口先生の講義を受けるというより、川口幸宏という人の話を聞きたいと思いました。」
 この学生の意識と行動とを変えることがぼくの課題だと認識した次第。

 

 今日は「ことばと教育の会」。会場確保と整備のため、午前中から研究室へ。