日記忘れ

 遠出をしていたわけではないのに、昨日のブログ記入を失念していた。
 昨日は、「出版お祝い」とのことで、貴婦人からめんどくさがり屋のぼくにぴったりの、電波・ソーラー時計をプレゼントしていただいた。そのまま出校し、清瀬の学生の感想入力。22人出席だったが感想は21通。いくら探してもあと一通見つからない。中抜けしてそのまま教室に帰らなかったのだろうな。
 帰宅したらフレネ研究会のお方から、献本の返礼葉書が届いていた。セガンの教育論、つまりは第3章に関わって、フレネ教育との共通性を見いだしておられた。障害児教育ばかりに目がいくけれど、セガンの子ども観(学習者観)は、19世紀前半期において、すでに学習主体論や発達可能性論が提出されている。そのことにフレネ研究会のお方は気づかれた。セガンの約1世紀後に、セレスタン・フレネが登場する。その教育哲学に、セガンがおずおずと、しかし確信を持って打ち出した教育実践と通底するものがあるわけである。その視点から、続「セガン」を綴りたい。史料発掘次第となるのだが。
 そうそう、過日、ある卒業生の慰労を兼ねた夕食会の店・三木で従業員がぼくの本を買ってくれていた。新聞広告をお見せしたときに買いますとおっしゃっていたのだけれど、まさか本当にそうして下さるとは。ありがたいことです。
 今日は教職課程会議、教授会。教授会は一年ぶりの復帰。
明日4限「道徳教育の研究」の資料作り。